七夕らしい

 朝起きて、Yahoo!ニュースをみていたら、昨日「エピソード2」の先行レイトショーがあっていたことが発覚。今ごろ知るなよ!>自分
 ぐやじい(兄上行ったらしいし)~~この思いを胸に秘め今度の土曜まで我慢です。

 で、一応七夕ってことなんですが、毎年この時期になると、こういう台詞を耳にします。「今年の七夕も曇ですかねえ・・・なかなか晴れた七夕ってないですよね」そりゃそうだ。梅雨の終わり時に七夕なんだから。晴れることの方が少ないのは当り前。僕のつたない記憶と記録によれば、1998年は晴れたらしい。その時は月も上弦くらいで月が明るすぎて(だから記録が残ってる)ので、結局星は全然見えなかったけど。
 さて、暦という文化を大切にしようというそういう動きは結構あったりするんですが、なにしろ、旧暦での日付をそのまま新暦に持ってきているわけだから、全く説得力がない。7月7日っていったって、旧暦の7月7日が七夕なんであって、新暦の7月7日では決してない。そういうわけだから、旧暦の7月7日はたいがい新暦の8月(ちなみに今年だったら8月15日)にやってきまして、そして晴れるんですよね。。。
 その数字(日付)だけを見て、本質にはあまり気を使われていない。節句とか(3月3日も5月5日も)全部旧暦の日付をそのまま新暦に持ってきただけ。だというのに、他の季節の暦(立春とか春分とか)はちゃんと天文との関連(太陽と月の位置関係)で決まっているから、いわば旧暦のまんま。そんなごちゃまぜが、よりいっそう、暦に対する態度をいい加減なものにしているんじゃないですか?なんかねえ、ちょっとしっくり来ないですよねえ。
 そうそう、なにしろ今日は「小暑」で「七夕」なんですよ。「小暑」はちゃんとした旧暦からの流れを汲んだ天文的に決められた暦(二十四節気)、で「七夕」は旧暦の日付をそのまま新暦に持ってきただけ。こんな変な共存が起こっちゃう。
 まあ、でもとりあえず、晴れてるみたい(月も今は下弦を過ぎてほとんど影響ない)ですし。それはそれで世間的にはよかったんだな、ということにしておきましょう。。。といっても、あまり星見えんなあ・・・

府立図書館

 こっちにきてから2年目にして、やっと公共の図書館なるものに行ってみました。府立ってことは、結構大がかりなものなんだろうな、と思っていたけれど、行ってみるとそうでもなかったみたい。まあ、全部を見て回ったわけじゃないけども、ざっと見た感じで、広さもたいしたことがなかった。。。
 とはいえども、やっぱり本に囲まれると、気持ちがいいもんです。気持ちがいいというか、わくわくしますねえ。「あ、これ読んでみたい」とか「次はこれを借りようかなあ」とかそういう感じで、どんどん気持ちは膨らむ。まあ、でも、別に活字中毒とかそういうわけじゃ全然ないんで(だとしたら、今までの1年間耐えられなかったはずだし)そこまで大げさなものじゃないんですが、でも、これからちょくちょく通ってみよかっな、と思いました。なにしろ涼しいしねえ。
 さて、一応お目当ての、というか、必要としていた類いの本は入手できたので、後は適当に検索でもしてみようかな、と思って、検索用のパソコンの前に腰を下ろします。キーボードをコツコツとうってると、、、なんとまあ、出てくる文字は全然違うし、っていうかこいつは「かな入力」か。そりゃそうか。万人が「ローマ字入力」できるはずないしなあ、と思いつつ、でも僕が「かな入力」をしていたのって、せいぜい10才くらいまでだから、もう全然キー配列とか覚えてないですよ、と、ちょっとあせりつつも、なんともまあ久しぶりにキーボードをにらみつつも文字を打たせていただきましたよ。しかし、あれはやっぱり、タッチパネルとか(つまり、50音順にちゃんと仮名が並んでるようなもの)のほうが、より一般的には使いやすいと思いますよ>図書館の方
 今日は、閲覧室(つまり本だけ)しか見てないから、次回はもうちょっと内部を探検してみましょうかねえ。

○上

 あれはいつ頃からだったろうか、と書き初めてみたものの、だいたい見当はついていて、ここ数年のことだったような気がする今日この頃。元来、伊藤家では、少なくとも僕が生まれた頃には、親・兄弟を呼ぶとき、「おとーさん」「おかーさん」「おにーちゃん」というのが原則であった。僕自身もその原則に則って20年の月日が流れ、なのに、今は「父上」「母上」「兄上」になってます。単に文字の上だけでこう書いているのではなくて、面と向かってもこう呼んでいるのである。(たまに昔の呼び方になっているときもあるみたいだが)なんでこうなったかといえば、多分、家族以外の他人に対して自分の家族のことをいうときに、「父親」とか「母親」という風に丁寧にいうように心がけていたら、そのままそれが呼び名に変わってしまったものと思われる。
 それはさておき、こう書いていて、思うのは、なぜ、家族間においていわば役職的な呼び名が存在しているのだろう。役職的というのは、たとえば「社長」とか「先生」とかそういうもののことだが、このような形式ばったものが、家族という親密な間柄にまで適用されているのはなぜ?しかも、ほとんどにおいて、年上に対してのみ適用されていて、自分の息子のことを「息子」とよぶようなそんな親をみたことがない。単に知らないだけかもしれないけど、この親兄弟に対して呼び名で呼ぶことって多分結構世界共通。国の文化・宗教にかかわらず、その言語固有の呼び名が存在し、呼び名でお互いを呼ぶようになっている(多分)。なんで?人類の発展上これは不可欠だったの?謎は深まるばかりかな。
 親は子を名前(固有名詞)で呼び、子は親を呼び名(普通名詞)で呼ぶ。確かに、子が親を呼ぶ場合に、呼び名であっても、間違えることはない(親は子に対して1人だから)から問題はないかもしれないけども、それは子と親が1対1の場合のみ。もし何家族もが集まっているとすれば(こういう状況は非常によくある場合ですが)、固有名詞でない呼び名は混乱を招く(人込みの中で「おとーさん」という声に幾人もの父親が振り向く光景は容易に想像できるかと)だけ。たいてい、役職的な呼び名には、接頭的にその人の名前を付けて区別できるようになっている(「○○先生」など)ものなのですが、なぜか、自分の親に対する呼び名にだけはそれが適用されない。(兄弟姉妹や、他人の親に対してなら適用されてますね)これは上述のように完全に1対1でのみ使用されることを前提とした呼び名であることを示唆していることになっている、とそう考えるのは普通だと思うんですが、しかしながら、現実はそうではなく、この親の呼び名そのものがTPOに関係なく本人の名前を含むことなく使われているわけです。変だなあ。不便なはずなんですけどね。実際不便。とはいえ、僕も別に両親を本人の名前で呼ぶことはないけれど。。。
 なにがいったいそうさせたんでしょうか?ほんと人類の進化の上で、言語的な発達の上で、いったいなにがこういう不都合を今まで継続させる力となっているのでしょう?誰か知っていたら教えてください。

ソフトウェア開発?

 「開発」っていうほどのもんじゃないですね。せいぜい、「製作」くらいか。まあ、Macな、それもAquaな人にしか関係ないことですが、1月半くらい前から、ソフトウェアプログラミングなんかに凝ってみたりして、今もちょっと、いろいろソースをいじったりしているような、そんな感じです。
 あくまで自分のため、といいつつも、やっぱり、世間に公開していることも考えて、それなりにみなさんの役に立てば、なんていう甘いことを思いつつも、いじってるわけですが、プログラムに関しては当然アマチュア、しかもちゃんとした(数値計算以外の)プログラムを組むようになったのは、これが初めて、なんで、まあ、しょぼいプログラムを世間に公開していることになってるんでしょうけど、それでも、ちょっとソフト開発者?モドキとして生意気にも思うのは、絶対フリーだな、とかそういうことです。これはあくまでアマチュアとしての趣味なんだから、といいますか、どうせ来年からプロとしての道を歩むことになるんで、今のうちにアマチュアとしての楽しみを楽しんでおこうと思うんです。(もちろん、プロになれば、なったで、そこにはプロの楽しみがあると思っているわけですが)プロになったら、自分の作るものにはちゃんと責任があるわけで、だからこそ、それに対しての代償が支払われていることになります。そういう意味で、今だけは、フリーのソフトを公開して、責任なんてものを完全に無視してみたり、そういうことができるんで、このスタンスで行こう、というわけですね。
 1年後くらいに今のソースを見て、「なんて稚拙な・・・」ってきっと思うんだろうな、とかそういう話もあるんですが、できるだけ今のうちに、100%趣味といいきれる今のうちに、こういうプログラミングの楽しみ方もしっかり味わっておきたいなあ、とかそんなことを考えながらも、日々精進。にしても、文献が英語ばっかりなのはさすがにつらいけど・・・(というか、今日の日本語文章はいつにもまして変。申し訳ない)

井上智CD発売記念ツアー

 というわけで、Jazzギタリストの井上智氏のCD「Live at Smoke」発売記念のライブを聴きに行っておりました。まあ、なんとかその日のうちに帰ってきたわけですが。LiveをBarで聴くのは2回目ですけども(前回はちょうど1年前の、やはり井上氏のツアーですが)時間が過ぎていくのは早いものです。20時開演の、あっという間に23時になってしまって、で、終わってしまいました。
 CD自体は先に購入してまして、家やらiPodやらで再生されておりましたが、やっぱり生は全然違います。もう全然。全然全然。イヤフォンや、スピーカーで聴く音なんて、所詮は耳でしか音楽を聴いていないわけで、生演奏のように体で聴く音楽とは雲泥の差ですね。いやあ、楽しかったです。
 今回はCD通りにBassの北川潔氏とのデュオだったのですが、よく考えてみれば、ドラムもピアノもないJazzなんて聴いたことないなあ、とか思っていたけど、新鮮に楽しめました。特に、アドリブのやりあいなんかは、1対1な分だけ、なんかいい感じで技を競っているような、そんな楽しい雰囲気がでていたような。
 まあ、あと、思い掛けないところで、思い掛けない人に会って(初対面でしたが)、世の中狭いなあ、と今日も感じてしまいました。
 今日は、このまま余韻にひたりながら、寝ることにしましょう。

夏休み?

 なんだか、7月にはいると、もうなんとなく夏休み気分になってしまうのは、やっぱり学生だなあ、とか、そんな余裕なこと言ってられるのも今年までだなあ、とかそういうふうに思う今日この頃。なにしろ、講義は先日終わってしまったし(とよく考えると、この講義って人生最後の講義か?と思ったけど、まだ集中講義が何回かあったなあ)レポートが2週間後くらいまでに出さないといけないみたいだけど、それくらいしか、僕を研究室以外の大学に結びつけるものはないから、そういう意味ではやや夏休み気分になるのもうなずけます。(研究室の活動自体には、長期休暇なんてほとんど関係ないわけなもので。。。どうせ、9月頭に学会があることを考えると、、、)
 そうそう、あと、昨日くらいからいきなり暑くなった。蒸し暑くなりました。今日もすごい。なんか午後にスコールみたいなのが一瞬降ったけど、それだけっぽい。研究している間は快適な環境なんだけど、帰ってくるとものすごいです。かといって研究室にずっといる気にはならないしねえ。この暑さが、そろそろ梅雨も明けるのか?とか、そしたら本格的に夏だなあ、とかそういう雰囲気をかもしだしてるみたい。昨日は熱帯夜っぽかったし。
 8月の予定もぼちぼち立ててみたり、といっても、なんかオケの練習と、ちょこっと実家に行ったりしたら、終わってしまいそうだけども、まあ僕らしい過ごし方かなあ、という気がしなくもない。
 ちなみに、明日は、更新ちょっと遅くなるかも?ならないかも?詳細は、明日の独り言参照ってことで。

独り言

 昼間。研究室で、この「独り言」のネタをちょっと思いついたものだから、メールの形でテキストを打ち込んで、あとて送信しようとか思ったいたのに、学会に向けてガウス白色雑音を1/2階積分していわゆる1/fノイズを作り出すプログラムをいろいろ検証していたら、いつの間にか忘れてました。せっかく書いたのに、、、またいつか使うでしょうけど。忘れないようにしないと。お楽しみ?に。
 さてさて。しっかし、蒸暑いですなあ。なんなんだ?この湿度の高さは。こんなに空気中に水分ためないで、さっさと雨を降らせて、すっきりさせてくれればいいんですが。といっても、雨が降って、なおかつ、蒸暑くなってしまったら、もっと最悪なんだけど・・・などと、相変わらず勝手なことを思ったり。
 ラジオでやっていたんですが、「掃除(整理)」に関する投稿で、「他の人には部屋が散らかって見えても、どこになにがあるかわかっているから、自分にとっての散らかっている状態は普通の人にとっての整理している状態と変わらない。片付けられたら、どこになにがあるのかわからなくなってしまう」みたいな話があってまして、ま、非常にありがちだなあ、とか、思い当たる節があるような気がしなくもなかったのですが、それに対して、DJのお姉さんが一言、「自分で整理すれば、やっぱりどこになにがあるかわかるんだから、他の人にとって部屋が汚いならちゃんと掃除しないと」ほお、納得。確かにそうですね。妙に説得された気分。(いや、別に僕の部屋が・・・とかそういうことじゃないです。多分)
 もう7月。夏真っ盛りか・・・

中華風?

 最近はいろんなレトルト食品というか、まあ、簡単に料理をするための素材が売られているわけですが、それなりにお世話になってまして、で、そのうちの1つを使用中にふと、「中華風 かに玉」?なんか変?と思ったわけです。なんか変だと思いませんか?「かに玉」っていうと、普通「中華」じゃなかろうか。わざわざ「中華風」をつけるっていうことは、僕が知らないだけで、一般的には「かに玉」にもいろんなお国料理があるのでしょうか。もちろん辞書なんかには載ってないので、料理サイトで検索をかけてみます。どこにも「中華風」の文字はないし、いってしまえば、僕の知っている「かに玉」しか載ってない。やっぱり「かに玉」は「中華」が当り前みたい。だとすれば、この無駄な「中華風」はなにもの?「かに玉」が「中華」であることを知らない人のための説明か?
 だいたい、その地方独特の料理の頭に「〜風」っていうのは変ですよね。「イタリア風パスタ」「和風みそ汁」なんじゃそりゃ。とはいえ、普段慣れ親しんでいるものが、本場とは大きく違う場合は、たとえば「インド風カレー」なんかになるわけですが。少なくとも「中華風かに玉」は「中華風チャーハン」並に変ではないかと。
 あ〜、なんか気になり出すと、非常に気になりますねえ。しばらく、商品名に対して、こういう見方が続いてしまうんだろうなあ。
 え?「洋風ハンバーグ」?まあ、いいじゃないですか。とにかく、ブラジルW杯優勝おめでとー!もう6月も終わりだ。

献血日記

 なんか、いつの間にか、結構間隔があいてしまいました。成分だから2週間おきにできることにはなっているのに・・・(といっても、年間の回数は限られているので、2週間おきにずっと出来るというわけじゃないんですが)
 今日の注射針の刺さり具合は問題なかったです。ほとんど気にならなかった。前回がひどすぎた。(この間は内出血までしてましたから)
 さて、今日はリンクに追加させていただきましたけど、僕の行きつけの献血ルームのホームページがありまして、いろいろ載ってるみたいなんで、これを見て献血に通うのもいいでしょう。ま、どうせ偽善行為みたいなもんなんで、献血することがどうとか、そういう問題じゃないんですが。ぶっちゃけ、自己満足だし。
 そうそう、なにやら、献血Eメール会員なるものを募集してました。早速登録したんですが、成分、特に、血小板は寿命が非常に短いらしく(採血後3日)必要な時にすぐに提供してくれる人を探すのが目的らしいです。そういや、今日は僕も、血漿じゃなくて、血小板でしたが、ちょうどタイミングがよかったのかな。こういうメールによる提供者募集みたいなのは、これからどんどん普及するといいのかもしれないですね。
 確か、独りぼっちの老人の話相手のボランティアとかいうのもメールでやり取りしたり、って言う話を聞いたことがありますねえ。(話相手が欲しい老人さんがセンターにメールを送る→センターでボランティアにメールを転送→メールを受け取ったボランティアさんが老人宅にそのまま電話をかけて話相手になるという仕組だったかと)同じような感じか。
 なんにせよ、今日は、そういった移動中に雨が降らなくてよかった。明日はまた楽器を持って移動なんだけどなあ・・・はぁ
 あ、そうそう。祝30000アクセス!!!いつの間に・・・

いきおい

 なにか物事をやり遂げるのに「勢い」が大きく貢献することって、少なくないですよね。で、だいたい、こういう時の「勢い」って、動き出したら止まらない類いのものが多い。
 今日の更新日時が2時半くらいになっているのも、そのせい。ここ1週間くらい、だらだらと、公開ソフトのプログラムと見合っていたんですが、どうも、いつもうまくいかなくて、文献はすべて英語だし、だるい~と、あきらめていたわけです。そうはいっても、まあ、それなりに、ソフトウェアの開発を待っていてくれる人もいるみたいだから(データ的には、更新版を公開すると100件以上のダウンロードがありますから)、その機能を付加することを投げ出すわけにもいかないし、なによりはそれは悔しい。
 しかし、昨日の22時だったか、23時頃に、もう一度、ソースと向かい合った時に、お!という感じだったんですよ。これはいけるかも?と。で、その後ざーっと、プログラム打ち込んで、コンパイルして、の繰り返しで、途中で止まらなくなって、公開できる状態になるまで、と思いつつ、気がついたら1時もまわってるし、2時近くになって、ソフトは完成。それから、ホームページは書き換える、マニュアルは作り直す、で結局最終的に2時半くらいになってしまったわけです。一息ついたのは、その後かな。
 まあ、でも、おかげで、問題も解決したみたいだし、よかったです。次の更新に向けてまた頑張中・・・
 さて、アナウンスしていたように、翌朝、メンテをします。とはいっても、当初思っていたような大掛かりなものじゃなくて、ちょこちょこっといじるだけなんで、完全にサーバを落とすようなことはしない予定。つながりにくくはなると思いますけどね。まあ、昼までには終了予定です。ご了承くださいませ。