○上

 あれはいつ頃からだったろうか、と書き初めてみたものの、だいたい見当はついていて、ここ数年のことだったような気がする今日この頃。元来、伊藤家では、少なくとも僕が生まれた頃には、親・兄弟を呼ぶとき、「おとーさん」「おかーさん」「おにーちゃん」というのが原則であった。僕自身もその原則に則って20年の月日が流れ、なのに、今は「父上」「母上」「兄上」になってます。単に文字の上だけでこう書いているのではなくて、面と向かってもこう呼んでいるのである。(たまに昔の呼び方になっているときもあるみたいだが)なんでこうなったかといえば、多分、家族以外の他人に対して自分の家族のことをいうときに、「父親」とか「母親」という風に丁寧にいうように心がけていたら、そのままそれが呼び名に変わってしまったものと思われる。
 それはさておき、こう書いていて、思うのは、なぜ、家族間においていわば役職的な呼び名が存在しているのだろう。役職的というのは、たとえば「社長」とか「先生」とかそういうもののことだが、このような形式ばったものが、家族という親密な間柄にまで適用されているのはなぜ?しかも、ほとんどにおいて、年上に対してのみ適用されていて、自分の息子のことを「息子」とよぶようなそんな親をみたことがない。単に知らないだけかもしれないけど、この親兄弟に対して呼び名で呼ぶことって多分結構世界共通。国の文化・宗教にかかわらず、その言語固有の呼び名が存在し、呼び名でお互いを呼ぶようになっている(多分)。なんで?人類の発展上これは不可欠だったの?謎は深まるばかりかな。
 親は子を名前(固有名詞)で呼び、子は親を呼び名(普通名詞)で呼ぶ。確かに、子が親を呼ぶ場合に、呼び名であっても、間違えることはない(親は子に対して1人だから)から問題はないかもしれないけども、それは子と親が1対1の場合のみ。もし何家族もが集まっているとすれば(こういう状況は非常によくある場合ですが)、固有名詞でない呼び名は混乱を招く(人込みの中で「おとーさん」という声に幾人もの父親が振り向く光景は容易に想像できるかと)だけ。たいてい、役職的な呼び名には、接頭的にその人の名前を付けて区別できるようになっている(「○○先生」など)ものなのですが、なぜか、自分の親に対する呼び名にだけはそれが適用されない。(兄弟姉妹や、他人の親に対してなら適用されてますね)これは上述のように完全に1対1でのみ使用されることを前提とした呼び名であることを示唆していることになっている、とそう考えるのは普通だと思うんですが、しかしながら、現実はそうではなく、この親の呼び名そのものがTPOに関係なく本人の名前を含むことなく使われているわけです。変だなあ。不便なはずなんですけどね。実際不便。とはいえ、僕も別に両親を本人の名前で呼ぶことはないけれど。。。
 なにがいったいそうさせたんでしょうか?ほんと人類の進化の上で、言語的な発達の上で、いったいなにがこういう不都合を今まで継続させる力となっているのでしょう?誰か知っていたら教えてください。


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