「百年の愚行」

 「自然保護」という言葉には若干の抵抗感があります。「保護」なんていうのが、なんだかちょっとえらそうだからとか、人間に自然を保護する資格なんてあるのか(そういえば、誰だったか「人間は自然を破壊するためにこの世に生み出されたものだ」とか言ってたなあ)とか、そういうところからきているものなんでしょうけど、まあそのあたりはいいとして。
 世間ではよく「環境にやさしい」とかそういう言葉がよくも悪くも氾濫しているんですが、どっちかって言うと、家庭まわりの小規模なものが多いですね。もちろん、そういうところから、身の回りから、そういう意識を持って行くことは大事なんですけども、まあ、なんていうか、結局汚いところには目を向けてないだけというか、そういう感じ。だいたいそうですよね。僕もそうだけど。汚いところにはあまりかかわりたくなかったり、できれば気にしないでいたいな、とか、誰かがいつかやってくれるかな、とか、そういうエゴ的なことを無意識のうちに感じて生活しているような。
 だから、というわけじゃないですけど、ちょっと勢い的なところもあったんでしょうが、買ってみました「百年の愚行」。これじゃよくわからんですね。単なる写真集です。ここ百年間(といっても20世紀)の写真が100枚載ってる写真集です。ようは、上述のようないわゆる僕ら(僕だけかもしれないけど)が普段気にしないことにしておこうと、目を背けているような、そんなことについての写真が載っているわけです。たくさん。森林伐採や、汚れた海、開発の被害に遭った動物達、といった人間が汚した人間以外の自然にはじまり、戦争や飢餓といった人間が自らを犯した末路(といってもまだ終わっちゃいない)に至るまで、がつらつらと載ってます。ちょっと、思わず目を背けてしまうものもある。
 これを見たからって、どうなるってわけじゃない。安直に、「さあ、自分にできることを、できるところから!」なんていうものには結びついたりはしないわけですが、でも、これは1つの記録。そして警告。これはたった100年間(実際写真的には50~60年間ですが)のうちに、こんなに多くのことがなされてきたという記録。この飛躍的に発展する社会においては、これから数十年のうちにでも、この100年間の何倍ものことをしていってしまうという警告。
 なにかするかもしれない、なにもしないかもしれない、なにもできないかもしれない、といろんな想いの交錯する中で、1つ言えることは、ちゃんと見ていかないといかないな、と。もう目をそらすことなんてできないし、そもそも今現在、目をそらしたところで見たいものだけを見ることなんでできるんだろうか、と。この本を開くことが、小さくも、自分への警告。かな。
 さて、http://www.ThinktheEarth.net/jp
 こういった活動をしているNPOですね。まあ、一度行ってみるのもいいかもしれません。