なんかすごい日でした。だいたい、昨日の本番で、帰宅したのが朝の4時頃。5時くらいに寝て、8時起床。10時くらいに実家を出発し、京都駅に14時着。大学には14時半くらいについて、メールのチェックやらなんやらをしつつ、それでも15時には帰宅。15時15分にはスーツに着替えて家を出て、就職関係の用事のために大阪へ向かう。で、帰ってきたのが、先程の23時前。やっと一息。荷物が若干散乱しているので、それを片づけて、ほんとにやっと一息。
明日からも、ほんとに怒濤の日々です。少なくとも今週中は。金曜日に中間(というよりは、最終?)報告をしなきゃならんので、それ用に資料を再編しないと。しかも、先週の発表の原稿もまとめて、提出しないといけないとかで(研究会の資料として冊子にして残すそうなんで)なにから手を付けてよいのやら。全部が全部修論に直結しているのは、そうなんだけども、イコールというわけではもちろんないから、組み立ててばらして組み立て直して、っていう感じのが続くのか・・・まあ、あと一月半ですからねえ。
久しぶりの今日の空気はやっぱり澄みきっているような気がしなくもないけども、今日はそこまで冷たいわけじゃないから、まあ、そこそこに。でも、結局、実家でひきかけた風邪をそのまま持って帰ってきてしまっているんで、ちょっとぼおーっとしているような気がしなくもないけども、これは単なる睡眠不足なのかもしれない。とりあえず、寝たら直っていることを期待しておきましょう。
今日は七十二候「鮭魚群がる」だそうで、産卵の季節。ああ、ソフトもいじらんといかんところがたくさん発覚したのに、どうしよう・・・サーバもいじりたい・・・
本番後夜
というか、当日ですね。といっても、もう6時間後には新幹線の中で京都に向かっているとか、そういう感じです。早く寝ないと。新聞配達はもう来てたり・・・(いろいろ言われましたけども、このために地元に戻ってきたわけじゃありません。演奏会は聴くつもりでしたが、自分が演奏するつもりなんで全然なかったんですよ。ほんとに)
さてさて、そういうわけで、古巣でのほんとに最後になるであろう演奏会も無事終了しまして、いやあ、ほんと楽しかったです。こういう感じってすごく久しぶりで、懐かしい、というやつですねえ。馴染みの仲間とっていうわけじゃもちろんないけれど、でもそこにただよっている空気はやっぱり馴染みのあるものだったから。
客演とかで演奏しているときって、本番のステージ上で弾いているときに、なんだか妙に、といいますか、それまでの練習では(といっても、客演なんで、そんなにでているわけではない)なかったような、そんな雰囲気の流れに入ってしまって、新しい発見とか、不思議とほかのパートの掛け合いとかが明確に自分の中に入ってくることがあるんですよね。ま、言葉で書くのは非常に難しい状態なわけですが、今日もそういうときがあって、それがまたなんだか妙に気持ちよくて、でもこの曲もまた次に弾くのはいつのことになるのやら分からないわけで、そういう意味ではここでの新しい発見もなかなか生かされなかったりとか、そういうことになるような・・・よくわからんですね。書いててもよくわからん。
とにかく、関係者の皆さんお疲れ様でした。聴きに来ていただいた皆さんもどうもありがとうございました。非常に楽しいひとときを過ごすことができてよかったです。
本番前夜
というか、もうすでに本番当日の日付になってしまってますけども、まあ、前の夜っていう意味では前夜なんで、問題ないか・・・とか、そんな話はどうでもいいので、さておいて。
二度と弾くこともないと思っていたオケで、二度と(あるいは一度も)弾くこともないと思っていた人たちと、二度と弾くこともないと思っていたホールで、演奏します。こういうこともあるもんなんですね、と。普通ならまずあり得ない、そういう感じなんですが、せっかくわいてきたチャンスだったので、そのチャンス、つかませてもらいます。
久しぶりの古巣のオケに戻ってくると、もちろんほとんどの人は馴染みのない顔で、ちょっと馴染みのない雰囲気がただよっていたりはするけれど、それでもやっぱり、深いところには、僕がここでオケ生活をスタートさせた時と、そんなにかわらんような、そんな流れがちゃんと今でも流れ続いているんだなあ、とちょっと感慨深い。そして、この2年という、まあ全体から見ればそれは些細な期間なのかもしれないけども、それでも今にとっては長い年月の流れがあって、偶然、僕はここに戻ってきたわけなのかな、と。
自分が主役ではないから、主役だった時みたいな、そういうワクワク感を持っているわけじゃないけれど、それとは違った、なんか不思議な感じではありますね。さあて、どうありますことやら。どんな音楽でホールを満たすことが出来ますやら。
忘れ物2
というか、今日のは、忘れていたんじゃなくて、知らなかっただけですが、なんとまあ、H2Aの4号機が打ち上げられたそうではないですか。しかも成功してるし。拍手拍手!!万歳万歳!!
いつもなら、しっかりと前々からチェックして、ネット中継とかも欠かさずに見ていたのに、なんで、今回は気付かないままで、たまたまニュースサイトを見ていたら、打ち上げられたばかりの記事が載っていたので、知ったんですけどねえ。それはそれで残念。でも、成功したからよかったです。ほんと。でも、見たかったなあ・・・
毎回思うけど、じぶんち以外にいるときって、なんだか、全然書くことを思いつきません。やはり、いろんなものとの接触がたくさんあるからですかねえ・・・いつもはおおよそ1人だから。
と、寝床を見ると、すでにアインは添い寝の準備万端です。最近、アインは小屋から完全に解放されているようで、留守中も、夜も家の中を自由奔放にしているようです。なんで、今は、下の階で寝ている僕の布団の上で寝るのが日課になってます。暖かいといえばそうだけど、重いな。足下にいるときはいいんですけどねえ・・・
忘れ物
ちょっとの期間、外泊するとなると、工デジタル機器に囲まれている人間としては、いろいろと携帯するものが多くなるわけで、それなりにそれはそれで面倒なことだったりします。特に、重要なのは電源アダプターとか、充電器のたぐいですかねえ。これなしで、外泊の途中で電池が切れるとなかなか悲惨な目にあったりすることもあったり、なかったり。
今年のGWの時は、なんと携帯の充電器を忘れたりして、結構大変だったかなあ・・・と。しかも、向こうを出る時点ですでに充電状態はそもそもやばかったりしたし・・・と、そういう経験もあって、結構気を付けてはいるんですけどね。今回は、といいますと、携帯の充電器、iPodの充電用アダプター、それからデジカメの充電器、なんかが主要なものになったんですが・・・
今日も今日で、アインの写真なんかをばしばし撮っていましたら、さすがに、電池切れの表示が出てくるようになって、まあ、さっさと充電しておこう、と・・・ないんですけど・・・充電器。この家の中でどこかに行ってしまったのか、といろいろ探してみたりはしたけれど、結局、結論としてはやっぱり京都に置いてきたままなんだろうかなあ・・・ということに。あ~あ。こういうとき、実際に京都にあるかどうかをチェックできないのはやっぱり歯がゆいもんですねえ。ウェブカメラでも置いておけばよかった、とか思った(笑)しばらくはいとー家のカメラで我慢するかねえ。(といっても、僕のより画素数は多い。重いけど)
ま、いいかなあ。とりあえず、今までの中でもベストショットはあったんでねえ。
散歩
ふと、大学から家まで歩いてみました。ざっと30分くらい。今日みたいに、風もそんなに強くはなくて、澄み切った空気がちょっと心地よくて、歩いていれば寒さなんて全然感じないような、そんな日にはちょっと歩いてみたい気分になりますよね。この間の夏から考えると、この4ヶ月もないくらいの間に、やっぱりいくつかの変化はあったりしていて、そういうのをぶらぶら見ているのも、なんとなしに感慨深いとか、そういう感じだったりするわけです。一つには、この街には帰ってこないんだよなあ、というのがだんだんと現実味を帯びてきていることから来ているのかもしれませんねえ、と思ったり。
そうそう、考えてみますと、今日は3回も散歩をしました。まずは、朝。朝食を食べてから、アインとぶらっと。公園に行ったら、すでにそこはご老人の方々のゲートボール場と化していたので、ほんとに町内を歩いて回っただけだったけど。
で、上記の大学からの散歩。のあとに、夕方のアインとの散歩。今度は、公園で懐かしの犬仲間の皆さんとも一気に再会できて、僕もアインも大満足。ひたすらはしゃぎ回ったアインは、帰るときもすごく名残惜しそうだったけども、それでも、家に着いたら、お疲れモードでしたねえ、さすがに。
さらに、そういやあ、今日はほぼ上弦(正確には昨日の晩という感じ)だったんですが、青空に浮かぶ白い半月、夕暮れ時の藍空に浮かぶうっすら光る半月、夜の闇に輝く半月、すべてをしっかりとおがませていただきました。いやあ、そういう意味ではなかなかよい一日で。
5時になってもまだ外が明るいのにはちょっとびっくりしてみたり。やっぱ、そこら辺が地域の差といいますか、そういう感じですねえ。
ひさしぶり
という訳じゃないけれども、まあとにかく帰省中。こっちに戻ってきたときに、なんとなしにほっと落ち着くことが2点。まず、バスの運転手の車内アナウンス。だいたい、京都のバスやらタクシーの運転手ってとにかく運転が荒いし。それを考えると、こっちはたとえ道が悪くても、なんだか、その運転手さんのアナウンスを聞いていると、やっぱ、こっちの方がいいよなあ・・・っておもってしまいますねえ。
もう一つは「なにするとー?」とか。久しぶりに聞くと結構感動するかも。自分は関西圏でもふつうに使っているような気がしなくもないけれど、それが違和感なしに使われているのはいい感じですね。ほんとに。ほっとします。
さてさて、今回のメインイベントである研究会での講演ですが、まあ、なにしろ発表練習とか全くしていなかったこともあって、発表のでき自体はいまいちでしたが、これを糧に修論発表までしっかり持ち込めるようにしておきましょうか。というか、来週中間(でもないですね、この時期になったら)報告みたいなのもあるから、今日の原稿を再編集しないといけないんですが。この福岡在中にがんばろうかな。
そうそう、アインとの再会もいい感じで。というかやっぱりかなりの熱烈歓迎を受けてしまって、うれしい悲鳴ですね。あいにくの雨模様で散歩日和な日がやってくるのかは微妙なんですが、是非とも天気回復して、楽しく散歩したいなあ、とか思ったりする今日この頃です。
能楽観賞会
こういうのを大学側が執り行ってくれるというのはいいことだと思います。ほんとに。6月の創立記念日にあわせた演奏会といい。特に今日のは、日本の伝統文化に触れる、という意味でもいいことかな、と。で、行ってきたわけです。狂言や能って一応高校時代に1回だけみたことがある(狂言はもっと見てるかも)わけなんですが、能はずいぶんと睡魔と戦っていたことだけ記憶にあります。なんで、今日はちゃんとみたいな、と。
やっぱり、狂言はずいぶんと親しみやすいですよね。話の内容も分かりやすいし、多分、事前に解説なんかを読んでいないとしても、笑い所ではちゃんと笑えることでしょう。だけども、能のほうは・・・やっぱり、僕らって、ああいう文化に簡単には慣れ親しめないような、そんな生活をしてますよねえ、って思います。静けさであったり、非常にゆったりとした時間の流れであったり、それこそほんのわずかな仕草であったり。舞台っていえば、テンポよく進むもんだったり、音楽がいいてもそれは派手だったり、とかそういう感じで。
今回の演目は「鉢木」というやつで、それこそ道徳の教科書にでも載ってたんじゃないかっていうお話でした。文章にしたら、多分読むのに10分もかからないでしょう。日本昔話、とかいう感じにしてしまえば、それでも15分くらいのお話になるかと。それを2時間近くかけて演じるわけだから、そこら辺の感覚っていうものが、もうすでに僕の中には乏しいかも。例えば、歌劇とかオペラとかにしたらそれこそ2時間くらいなんていうのはほとんどありえないほどに短い部類に入ると思いますけども、それはもともとの話もずっと長いから、それでもまあ僕にとっては大丈夫なわけですが・・・次どうなるのかな?と考える、といいますか、だいたいゆっくり進むもんだから、次はこうなるはずだけどなかなかそこまで進まないなあ、とかそんなことを思ってしまうほど。いかんですねえ。そういう意味では、これこそが僕にとっては異文化ですよね。自国の伝統文化なのに。
ま、それと、解説にもあったんですが、舞いとか、そういう類いのものは一切ない、そういう演目だったこともあったんだろうな、と。だから淡々と話が進んでいるようでしたし。そこら辺が初心者的には、入門編としてはあまり適してなかったのでは、と思ったり。ま、いいか。
そんな感じだから、なんか、やっぱり他人のマナーの悪さについ気をとられてしまったり・・・(目の前だったしなあ)・・・いやいや、まあ、結論的には、いい経験でした、とまとめておきましょう。
で、明日から、地元の大学でおこなわれる研究会に出席するために、実家に一時帰省です。
時間
世の中、というか特に研究者、というかほんとに限定すればうちの研究室の人々、はだいたい2種類の時間感覚をもつぐループに分類されると思います。つまりこういうこと。
ある時刻にあるイベントが実行される、という予定が存在したときに、その時刻になる瞬間にはもうすでに実行されるべきイベントについての準備が整っている状態と、その時刻になった瞬間あるいはその時刻以降にそのイベントについての準備をはじめる状態。わかります?簡単にいいますと、1時からゼミがあるとしたときに、1時にはすでにゼミ室の中の自分の席についてノートやらの準備も完全に整っている状態と、1時になったときにゼミ室に向かう準備をはじめる状態、という感じで。おそらく、社会的に見ても、っていうかそんな大がかりじゃなくても、前者が本来あるべき状態ですよね。会社とかだったら絶対そうでしょうし、普通、なにかしらの共同体においてはそうあるべきはずだと思ったりするわけなんですが・・・で、ちなみに僕は前者です。いつでも、どんな場合でも。予定時刻より前にそこにいて、予定時刻に起こるべきイベントには必ず前もってそなえておく、というのがいわば信条みたいなもんで。なんですが、おおよそ、うちの研究室の他の人々は後者です。ここに認識の差が・・・
そうはいっても、はっきりいって僕のほうが圧倒的に少数派(ざっと1:10くらい?)なんで、かなりの割合でいつも時間的には損をしている気分です。時間通りに行ったのに誰もいない、というのはいつものことだったりするわけです。2年目にして、ようやくそういう状況にも慣れてきたのか、意識的に、時間通りには行動しないように勤めたりという涙ぐましい努力があったりもするわけですが、やっぱり頭の奥では、おかしいよなあ。という気持ちもぬぐい去ることはできませんで。。。いやいや、じゃあ、みんなに言ったらいいじゃないの?というご意見もあろうことかと思いますけどね、実際のところ、今のような状況で、たまに損な気分を味わっているのって、僕だけだと思うんですよね。なんで、まあ、しゃーないかな、と。
一言で言ってしまえば、研究者だからなんだろうな、と偏見的には思います。しかも、理系で、理論系。そもそもが自由な雰囲気で、時間の束縛なんかどこにもなさそうだし、やっぱり、しゃーないんでしょうね。とはいえ、僕にはそういう人々の感覚はほぼまったく理解できませんが・・・それもまた気にしない気にしない。
演奏会三昧っぽい
あくまでも「ぽい」というところなんですが、としても2日連続で演奏会に行ってれば、そういうもんですかね。10〜11月というのは、プロの演奏会シーズンという感じなのですが、12〜1月はアマチュアの演奏会シーズンというところでしょうかね。だいたい年に2回の演奏会をしようとすれば、6月頃と12月頃というのが定番になっておりますようで。(といいつつも、半分所属しているような気がする大阪市民管は3月頃と9月頃だけど)今月に入ってすでに、2つのオケの定演(つまり先週と今週)を聴きに行ったりしているわけで、まあ、そういう意味では「ぽい」はいらんな、とか。
と、こういうふうになっているのにもいくつか理由がありまして、なにより、すべての演奏会はタダで行っているとか、それは大きいかな、と。(チケットくださった方々どうもです)ホール自体も京都のいつも行っているホールだと自転車で20分くらいなのですが、普段はそこであまり演奏していないオケもそこで演奏したりするんで、おかげで演奏会に行く、ということ自体にほとんど障害がないというか、そんなふうでありまして。おかげで音楽に充ち満ちた週末を送っている次第です。優雅なもんだ。
演奏会に聴きに行くときは、いくつかの運が試されます。多分。例えば、座った席の付近のお客さんが演奏中に音を立てるかどうか、とか、そもそも自由席の場合は好きな席に座れるかどうか、とかそういうのもありますが、今日みたいな曲の場合は、あと、演奏終了後の拍手のなるタイミングとかそういうのも運ですねえ。そういう点では今日のは比較的よかったほう。席の問題とかそういうのはまったく問題なかったんですが、なにしろ上の階の席に座ったんで、下の階の客席の様子もなぜか自然と目に入ってしまって、そんな中で動きがあろうものなら、若干ながらに神経がそっちに奪われてしまうんですよね。というか、終楽章がはじまった時点で客席に入ってくるお客さん(しかも、曲は始まっているのにずいぶんと前の方まで歩いていった)とか、曲がまだ終わっていないのに途中でホールをでていくお客さん(わざわざ立ち上がってコートを着てからでていった)とか、そういうのはどうかって思うんですよ。まったく。僕がそういうのを気にしてしまうのがいけないんでしょうけども、そこには普通ならあるはずのない出来事が起こっていると、なぜか無意識のうちに気を取られてしまうようで、それはそれで困ったものです。演奏している立場の時でもあるんですよね。他人に起こった事故なのに、当人よりも動揺してしまうとか・・・
来週はさすがにないなあ、とか思っていたけど、よく考えたら、実家のほうで・・・