猫なしのニヤリの月

 今日も、何気なく、学校帰りの買い物帰りに空を見上げると、拝ませていただきました。沈む月。でも、もう月齢も3.5くらいになっているので、さほど細くもない。でも、このくらいの月を見ると、いっつも思うんですけどね、「あ、チェシャ猫だ」と。
 「チェシャ猫」ってしってますか?聞いたことがある人も多いかもしれませんが、そう、あの「不思議の国のアリス」の中に出てくる、小生意気(?)な猫のことです。あの猫って、物語の中でかなり重要な位置にいるんですが・・・と、僕はいつも、「チェシャ猫だ」と思う月を見ると、あの話に含まれている多くの言葉の論理について思い出さずにはいられないのです。数学者(だったと思う)のキャロルが書いた、あのお話には、たくさんの論理学的な要素がつまっているそうで、その中でも「チェシャ猫」の話はなぜか僕の記憶に残っておりまして。ま、というのも、多分月を見るたびに思い出すからだと思うんですけどね。そう、「チェシャ猫」の「猫なしのニヤリ」を。
 どういうことかっていいますと、もう一回読んでもらえればわかりますが、よくこの猫は姿を消します。で、そんな1シーンで、最後に猫の「ニヤリ」とした笑みだけが残されるんですよ。で、ここで問題なのが、「猫なしのニヤリ」はあり得るのか、ということ。しかしながら、問題だけ覚えていて、結論は忘れてしまいました(汗;ようするに、実体がないのに、それに付随する抽象的なイメージだけが存在し得るのか、という、そういうことを含んでいるそうなんです。確か。
 まあ、難しい話はさておいても、この時期の、このくらいの細さの月を見るたびに、それがあまりにも「猫なしのニヤリ」に見えるもんだから、僕の中では「猫なしのニヤリの月」という感じに定着しているのです。だから、今日も「あ、チェシャ猫だ」と。そういうわけでした。もう一回読むかな。


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