和声と鍵盤

 何気なく、これまた非常に久しぶりに和声の本を手に取ってみました。えーと、一応、和声とか対位法の本とかそういう音楽理論の本が数冊もってまして、だいたい4年くらい前に購入したものばかりなんですけども、今日はちょっと気分をかえて、というか、たまたま大学の図書館で見つけたので、それを手に取ってみたわけです。本が変われば、また気分一新で新たな発見でもあるかな、とか思っていたけど、なんとまあ、結構細かく詳しく書いてくれているおかげで、持ってるやつよりずいぶんとわかりやすい上に、初歩的なことでも知らんことがあってびっくり。いやいや、別にもとから詳しいわけじゃなかったんでそんなもんですけど。ちょっとかじった程度だったしね。
 ところで、多くの作曲家がピアノを使って作曲していたように、多くの音大に入学するのにピアノが必須なように、ピアノというのはかなり重宝します。こういう時にも。ま、この場合ピアノである必要はなくて、とにかく鍵盤がそこにあればいいのですが、というのも、譜面見てるだけじゃ、その和音進行を実際に感じられないし・・・少なくとも僕には無理です。流れはわかったとしても、その細かい進行の違いを目だけで理解するなんて無理。そんなわけで、そういやあ、4年前はピアノを前に本を読んでいたよなあ、とか思い出したりしましたけども、今現在ここにはピアノがない。それに代わるような鍵盤ももちろんなくて、もとからピアノの鍵盤上で和音を理解していた自分にとってはこれは問題。和音を調べたりする時って、たいてい左手が仮想上のピアノの鍵盤の上でその和音を弾いているんです。この場合は特に音がなくても大丈夫だけど、基礎を勉強しようっていう時にはとても必要だな、と。そんなわけで、もう一回ちゃんと勉強してみようかな、という目論見は、いきなり障害にぶつかってしまったわけですけども、でもまあなんとかやってみましょう。単に文章を読んでいるだけっていうんだったら確かに問題はないんですけどね。
 え?そんなことをしてなんになるのかって?いいますと、別に楽曲分析をびしっとやろうとか、そこまでいうつもりはないんですけども、なにげに弾いたり聴いたりしていて、ふとぞくっとする音楽進行があった時にその仕組みがわかると楽しいんですよね。なにがその「ぞくっ」をもたらす要因になっているのか、を知ったあとに、その場面を通り過ぎる時はいつもわくわくしますし。「お、くるぞくるぞ」って。 ま、そんな感じでした。でも、鍵盤欲しいな。やっぱり・・・