お日柄もよく

 確かに、昨日も今日もいい天気で、昨日の「独り言」でも、紅葉は今が一番ですねえ、なんていう感じのことを書いたような気はしたわけですが、そんななかでも今朝は、のんびりいいお天気の中洗濯とか、掃除とかして、音楽聴きながら日の差し込む中、本を読んだりしていまして、午後から外に向けての活動開始となったわけです。(レッスンだったんで)それで、電車に乗るべく中心部に向かっていると・・・いや、それまでの行程は、相変わらず川沿いを気持ち良く、紅葉並木の間を走っていったんですが、駅の近くで自転車を止めたら・・・えーと、なんでこんなに人が多いんですか?歩道が完全に人で埋め尽くされているし。おいおい。ま、こんな日だったからわからなくもないんですが、いざ直面してみるとびっくり。ちょうど夕方頃だったんで、みなさん一日の京都観光を済ませて家に帰ろうという感じで、つまり僕と行く方向が同じだったりするわけで、ああいう満員電車も非常に久しぶりな気分でした。
 ちょうど、なにやら俄的に、中国の音楽(それもクラシックの)が少しブームになっていたりするわけですが、なんとまあ、すごくいいタイミングで、今度の水曜日に大フィルの定演で、中国作曲家の曲を演奏するようです。さらに、招待券まで手に入れてしまいました。なんというタイミングでしょう。楽しみです。(ほんとは、ピアノ協奏曲だったらなおよかったところ、ヴァイオリンなんですが、それはそれとしまして)
 日中と夜の気温差が体感では結構あるから、服装に困る日々ですね。
 そういや、明後日くらいにしし座流星群のピーク付近になるはずなんですが、満月なんですよね。もろに。。。う〜む。

献血日記とか

 朝起きて、まず、昨日の続きで、論文更正。ひたすらひたすら。でも、そのおかげで、とりあえず、昼前には形になったんで、そのまま昼食食べて献血へ!最近ずっと2週間単位で行っているから、少しでも、それがずれていくと、なんだかすごくもったいない気がしてならないわけですよ。(といっても、今日のも、2週間と1日分間が開いてしまったんですが)
 ま、それ自体はなんの問題もありませんで、結局、ほとんど全てのことが予定通りに動いておりました。オケの金管の人たちの発表会も見に行ったし。やっぱり、金管によるコラールとか、そういうバロックや、それ以前の音楽っていうのはすごくいいです。特に、会場も教会だったこともあって、音に包まれる快感は非常によろしかった。
 今日はずいぶんと暖かかったので、移動中もかなり気持ち良くて、紅葉並木の下を進みながら、明日の移動中にはカメラをちゃんと持っておかないとな、と。もう、かなり散ってきているから、いまがチャンスでしょうね。この京の紅葉も。
 さて、突然ながらに、ピアノの音源リストを再編中。今までは、ピアノにかぎらず一つのデータにまとめていたんですが、ピアノ関連のやつだけを抜き出しているところです。よくよくみてみると、ずいぶんかぶっていたりすることもあるみたいで、今度くらいに買おうと思っていたものが、実はすでに持っていたりとか、そんな感じなので、今やっておいてよかったです。といっても、まだ終わってないけど・・・多分、サイト上にはおいておくつもりなんですが、別に特に意味はない。自分の確認用なんで。 にしても、こうやってみていると、なんとまあ、たくさん持っていることやら。全音源数(クラシックのみ)のざっと3〜4割はピアノ関係です。また、どんどん増えてるし・・・さ、今からももう一頑張り。
 あ、論文のほうは、とりあえず、自分の中ではチェックも済ませたんで、あとは指示待ちの状態になりました。もう指示があってるかも・・・

論文更正

 以前、論文を共著で投稿した話をしていましたが、来月号に掲載されるため、その前に書式など、英語上の文法チェックとかを済ませたものが一度戻ってきて、それを訂正して打ち直したものを返送する、という手続きがあるわけなんですが、なぜに、来週の月曜までに返送のそのファイルが今日の夕方僕のところに到着する?
 いやいや、理由は簡単。秘書の人がちょっと休みをとってまして、そんなこともあって、12日にすでに届いていた郵便物が、事務のところにずっと留まっていたのを、今日、共著の教官の人が発見したとか、そういう感じで。この時点ですでに3〜4日のロスが・・・てゆーか、週末の予定が・・・あ、ちなみに、その教官先生、来週の月曜から出張なんで、事実上日曜の夕方くらいまでに訂正を終わらせないといけないってことなんですよね。ちゃんと、12日頃に手元に着ていれば、のんびり訂正できたのにな、と。
 唯一の救いは、その論文を投稿する先が、なんと同じ大学内であるということ。ぶっちゃけ、郵便速達より、手渡しのほうが早いとか。そんな感じで、今度も月曜になったら、僕がファイルをまとめてもっていくことになるんでしょう。
 しかし、問題は時間です、時間。週末の予定が・・・いろいろあるんですが・・・しかも、はずせないものもいくつかあるし・・・という感じで、大慌てで、訂正にかかります。要は、投稿した論文が、ものすごい書き込み付きで戻ってきたのを、その書き込みにそってもとのファイルを書き換えればいい、というそれだけといえばそれだけの作業なんですけどね。ただ、その量が多い。純粋に、英語の用法だとかの訂正ばかりなんですが、やっぱ、日本人が書くとこういう感じになるんでしょうね。(ちなみに僕はほとんど英語は書いておりませぬ)とか思いつつも、訂正をはじめているわけですが、なんていうか、字が読めないんですけど・・・予想はしていたけど。虫食いのスペルから、本来の単語を連想しているような、そんなことも幾度か幾度か。だんだん、その修正した人の字の癖もわかってくるから、それはそれでなんとも、ですが。
 ま、とりあえず、集中的に頑張ったおかげもあって、うまくいけば、明日中には片が付きそうだし、さほどこの週末にたてていた予定には影響がないかもしれません。いやいや、油断は禁物。こういうことって、なにが起こるかわからないから怖いもんですよね。そもそも、この事態自体を予想すらしていなかったし。「なかなかこないですね」なんていいつつ、こんなオチが待っていようとは・・・

いとーけー風紅茶の楽しみ方

 また寒くなってきました。(初めて炬燵のスイッチを入れてみたり、コートを出してみたりしました)ということで、「いとーけー風紅茶の楽しみ方」です。
 ほんとは昼下がりに飲むのがおいしいんですけども、そんな時間には家にいないので、紅茶を飲むのは夜。風呂に入って、この「独り言」を書いて、などとだいたいの用事が終わって一段落したろ。
 まず、大目のお湯を沸かします。ざっと3杯分くらいになるかな。で、その間に、ティーポットを空のままレンジに投入。1分弱であつあつポットの出来上がり。同じようにティーカップも、といきたいところですが、柄の都合上カップはお湯で温めます。(だから3杯分)だいたい葉茶なんで、2杯分をスプーンですくって、これもほんとはそのままポットに入れて、沸き立てのお湯で対流させたいところですけども、そのあとの手間も考えてお茶パックにいれます。(だから、ティーパックとほとんど同じ。という話はまあおいておいて)そうこうしているうちにお湯が沸くので、あつあつのポットに先程のパックをいれてお湯を投入。ざっと2杯分弱。すぐに蓋。で、残りは空のカップにそのまま入れます。2〜2分半の待ち時間の間に次の準備。お茶菓子(最近は手製のパンケーキモドキ)を用意して、2杯目のミルクティー用のミルクを準備します。これは別の容器にちょっとだけミルクを入れて、レンジでややぬる程度に温めておきます。(量が少ないため、気を付けないとすぐにタンパクの膜が出来ますし)
 で、時間は過ぎて、出来上がり。早速全てをテーブルの上に並べて(もちろんカップにソーサーもつける)、カップに1杯目のストレートティーを注ぎます。これがもうあつあつ。かなり熱い。温度を下げる要因を頑張って排除した結果。お茶菓子片手に美味美味。んで、2杯目はミルクティー。これは、1杯目を飲んでいる間に、ポットの中の紅茶が濃くなってしまう、という事情もありつつ、でももちろん紅茶の種類によってはミルクにしないほうがいいな、というものもあります。先程のややぬるミルクをカップに注ぎ、ポットから紅茶を注ぎます。温か、まろやかなミルクティーの出来上がり。これも美味美味。ミルクティーってあまり今までは飲んでなかったけども、やっぱり紅茶を飲むなら両方飲まねば損。
 うーん。やっぱ、ティーストレイナーがほしいですね。あと、ここにスコーンとかあれば最高なんだけども・・・オーブンがないのでさすがにそれは作れない。
 そんな感じで、秋の夜長の時間はちょっとだけ優雅に過ぎていきます。さ、飲も飲も。準備準備っと。

お昼の一時帰宅

 以前、昼食用にご飯だけを弁当箱に入れて持っていっているという話をしたと思うのですが、最近は、お昼はほとんど家で食べるようにしています。12時少し前くらいに研究室を出て、徒歩で、神社の中を通って一時帰宅。食後しばらくのんびりしてから、13時くらいにまた家を出て同じ道を研究室に向かう、と。こんな感じなので、今週の外食率はいまだに0%でありまして、そしてこの節約でまたCDが・・・ってまあそれはどうでもいいとしまして、単に節約だけが目的じゃなくて、ぶらっと散歩しているようなそんな時間も必要だなあ、というのもあるわけです。
 特に最近は木々も紅葉してきましたし、神社道にはたくさんの枯れ葉が散っています。そんな中をのんびり歩くというのはじつにいいもんです。じつにいい光景です。今日はなんでだかよくわからないですけども、観光客っぽい集団が神社の中にいまして、へえ、この時期に珍しいこともあるんだな、とか思ったり。あんまり名所っていう感じじゃないですし、そりゃ、祭事がある時はすごいことになってるみたいですけどね。平日の昼間だったんで。ま、あと自分の生活にはあまりに普通の場所になってきてるっていうのもありますね。毎日通っているわけだから。(あ、といっても、朝、研究室に行くために自転車を使っている道と、昼間にある気で往復している道は若干違います。途中でほとんど平行になるけども)
 足下から砂利をふむ音、頭上には紅葉した木々、目の前にはその木々のすき間から降り注ぐ光。ふはぁ〜と一息立ち止まって、深呼吸。気持ちいいもんですね。そしてなによりそこが日常の場であるっていうのが。もうこんな生活もあとわずかしかないんだな、という寂しい気分にもなりますが、それでもそれまでは堪能させてもらわないと。

和声と鍵盤

 何気なく、これまた非常に久しぶりに和声の本を手に取ってみました。えーと、一応、和声とか対位法の本とかそういう音楽理論の本が数冊もってまして、だいたい4年くらい前に購入したものばかりなんですけども、今日はちょっと気分をかえて、というか、たまたま大学の図書館で見つけたので、それを手に取ってみたわけです。本が変われば、また気分一新で新たな発見でもあるかな、とか思っていたけど、なんとまあ、結構細かく詳しく書いてくれているおかげで、持ってるやつよりずいぶんとわかりやすい上に、初歩的なことでも知らんことがあってびっくり。いやいや、別にもとから詳しいわけじゃなかったんでそんなもんですけど。ちょっとかじった程度だったしね。
 ところで、多くの作曲家がピアノを使って作曲していたように、多くの音大に入学するのにピアノが必須なように、ピアノというのはかなり重宝します。こういう時にも。ま、この場合ピアノである必要はなくて、とにかく鍵盤がそこにあればいいのですが、というのも、譜面見てるだけじゃ、その和音進行を実際に感じられないし・・・少なくとも僕には無理です。流れはわかったとしても、その細かい進行の違いを目だけで理解するなんて無理。そんなわけで、そういやあ、4年前はピアノを前に本を読んでいたよなあ、とか思い出したりしましたけども、今現在ここにはピアノがない。それに代わるような鍵盤ももちろんなくて、もとからピアノの鍵盤上で和音を理解していた自分にとってはこれは問題。和音を調べたりする時って、たいてい左手が仮想上のピアノの鍵盤の上でその和音を弾いているんです。この場合は特に音がなくても大丈夫だけど、基礎を勉強しようっていう時にはとても必要だな、と。そんなわけで、もう一回ちゃんと勉強してみようかな、という目論見は、いきなり障害にぶつかってしまったわけですけども、でもまあなんとかやってみましょう。単に文章を読んでいるだけっていうんだったら確かに問題はないんですけどね。
 え?そんなことをしてなんになるのかって?いいますと、別に楽曲分析をびしっとやろうとか、そこまでいうつもりはないんですけども、なにげに弾いたり聴いたりしていて、ふとぞくっとする音楽進行があった時にその仕組みがわかると楽しいんですよね。なにがその「ぞくっ」をもたらす要因になっているのか、を知ったあとに、その場面を通り過ぎる時はいつもわくわくしますし。「お、くるぞくるぞ」って。 ま、そんな感じでした。でも、鍵盤欲しいな。やっぱり・・・

CとObjective-C

 久しぶりに研究室で数値計算のプログラムを組んでみた。別に今までさぼっていたわけではなくて、そういう必要がなかったから、というだけなんですけども、もうこのまま数値シミュレーションをしないまま終わるかな、とも思っていたけど、そういうふうにはならないみたいで、それはそれで別に全然構わないんですが、まあ、そんなわけで、久しぶりに研究室のパソコンの前で腕組みプログラムのソースを向かい合っていたわけです。
 しかしなんですね、研究室ではいわゆるCでプログラムを書いてます。(あ、プログラムに知識のない人にはまったくわからない話ですいませんが)で、家でMac用のソフトを作っている時はObjective-Cというのでプログラムを書いているんです。まあ、どっちも「C」っていう言葉が入っているように、まあ、まったくの別物っていうわけじゃないんだけども、大いなる違いとしては、後者は完全にオブジェクト指向用の言語になってまして、まあ、そのあたりの難しい事情は僕にもよくわかっていないけれども、ようするになにが言いたいかっていうと、最近このObjective-Cばっかりいじっていたから、いざCでなにか書こうとすると、これがなかなか大変なんですよ、という話。
 いろいろ浮かんできたアイディアは、なんでかまずObjective-Cに翻訳されかけた状態で頭の中を駆け巡ってしまうんで、それを「おっと違う」とCに戻してから、打ち込まなければなりませぬ。といっても、そんなにたいしたことをしているわけじゃないから、すぐに昔みたいに普通にCで打てるようになるんですけどね。(もちろん、以前もたいしたことをしていたわけじゃないので、そこら辺はじつに適当に)
 そんな感じで、久しぶりにプログラムを走らせたままの帰宅となりまして、明日の朝結果を見るのが楽しみですね。どうなっていますことやら・・・

いい天気であるがゆえに

 昨晩の冷え込みのために寝つきが悪かったこともあってか、今朝の寝起きの機動性はいまいち。頭は比較的はっきりしていたと思うんですけどね。で、カーテンを開けると、なんていい天気なんでしょう!という感じで。陽の光もとっても暖かくて、昨日のはいったいなんだったのよ、といわんばかり。最近は毎週、休みの日にはどっかに出かけて、おいしいお茶なんかを飲んで、という生活をしていたわけで、まあ、もちろん今日もそんなつもりではいたんですよ。起きるまでは。
 なんか、あまりにいい天気だったものだから、その割には、普通の休日の時間(ちなみに9時)に起きてしまったし、その意味ではすでに出遅れ。今から、いろいろ準備して出かけたのでは、もうみなさん観光客とまったく変わらん行動パターンではないですか。絶対混んでる。こんないい日なだけに、絶対みんな出かけているに違いないし、そしたら、どっかにぶらぶらしに行っても絶対人込み。もっと早く出かけるようにしておけば(例えば先週の南禅寺行きの時は9時には家を出てました。それでも結構人がいたんですが)問題なかったけど・・・という思いがぐるぐるまわって、結局、部屋の中に居座ることに決定。なんか、「出かけなければならない感」を強く感じてしまったので、逆に冷めてしまったといいますか。
 でも、窓から差し込む暖かい光の中で、のんびり過ごすのもいいもんでした。(いや、というか、まあそれは予定通りだったわけですが)のんびり、ひたすらいろんなCDをかけながら、本を読んだり、パソコンいじったり、お茶菓子用のパンケーキを作ってみたり、、、久しぶりにこういう感じの休日だったかも。
 そんな感じで一通り過ぎていって、デュ・プレのチェロの音色の中を彷徨いながら、明日からの研究(と楽器の練習)のプランでもたてますかね。

寒い寒い

 寒い寒い。平年なみだとか、そうじゃないとか、この冬一番だとか、そういう細々とした問題もあるでしょうけども、そんなこと関係なしにとにかく寒い一日でした。幸い、それほど外にいたわけじゃないんですけども、そうはいっても、午前中だとか、陽が完全に沈んでしまったあとだとかに、自転車で駈け抜けていくにはなかなかつらい日だったといえるでしょう。あ、ちなみに、最高気温は9度ちょっと。
 今日、どんなことをしていたかっていえば、まあ、それぞれのページを見てもらうことにしまして(といっても、今から更新しますが)。
 そういや、七五三なんですね。なんてことを神社の前を通りながら思ったわけで、きれいに着飾った(着飾らせられた?)お子様達が、そのあたりを歩いているのにいくつか遭遇しました。七五三自体に最寄りの週末は多分来週末なんですけども、まあ、それだと過ぎてしまっているとか、まあそんな事情もあったりして、よくそこら辺のことはわからんですが、そういう行事もあったなあ、と思った次第です。 
 業務連絡っぽいところもありますが、今日もありましたが、たまに長い時間つながらなくなることがあるみたいです。一応、接続が切れても自動的に再接続をして、その場合だと、まあ10分かそこらでドメイン的にも復帰するんですが、最近のはそうじゃなくて、その際接続を何回もやってるみたいなんです。ログをみたら、接続が切れました、という感じのログが、数分間の間に何個も何個も。(メールでやって来るんで、一気に10何通とか、同じ内容のエラーログが届いてびっくり)原因不明。僕のせいか、プロバイダーのせいか、ADSLの回線のせいか・・・ ご迷惑をおかけしてどうもすいません。

 いや、しかし寒いですね。さすがにそろそろストーブいるかな・・・と、熱い熱い紅茶をストレートでまず1杯飲んで、2杯目の熱い熱いミルクティーを口にしながら・・・って、もう冷めてきてるし・・・

猫なしのニヤリの月

 今日も、何気なく、学校帰りの買い物帰りに空を見上げると、拝ませていただきました。沈む月。でも、もう月齢も3.5くらいになっているので、さほど細くもない。でも、このくらいの月を見ると、いっつも思うんですけどね、「あ、チェシャ猫だ」と。
 「チェシャ猫」ってしってますか?聞いたことがある人も多いかもしれませんが、そう、あの「不思議の国のアリス」の中に出てくる、小生意気(?)な猫のことです。あの猫って、物語の中でかなり重要な位置にいるんですが・・・と、僕はいつも、「チェシャ猫だ」と思う月を見ると、あの話に含まれている多くの言葉の論理について思い出さずにはいられないのです。数学者(だったと思う)のキャロルが書いた、あのお話には、たくさんの論理学的な要素がつまっているそうで、その中でも「チェシャ猫」の話はなぜか僕の記憶に残っておりまして。ま、というのも、多分月を見るたびに思い出すからだと思うんですけどね。そう、「チェシャ猫」の「猫なしのニヤリ」を。
 どういうことかっていいますと、もう一回読んでもらえればわかりますが、よくこの猫は姿を消します。で、そんな1シーンで、最後に猫の「ニヤリ」とした笑みだけが残されるんですよ。で、ここで問題なのが、「猫なしのニヤリ」はあり得るのか、ということ。しかしながら、問題だけ覚えていて、結論は忘れてしまいました(汗;ようするに、実体がないのに、それに付随する抽象的なイメージだけが存在し得るのか、という、そういうことを含んでいるそうなんです。確か。
 まあ、難しい話はさておいても、この時期の、このくらいの細さの月を見るたびに、それがあまりにも「猫なしのニヤリ」に見えるもんだから、僕の中では「猫なしのニヤリの月」という感じに定着しているのです。だから、今日も「あ、チェシャ猫だ」と。そういうわけでした。もう一回読むかな。