そういえば、と、まあ、誰も覚えてないでしょうが、急性活字中毒のその後。もはや、急性ではなくなってしまってますけども。
しばらくのあいだは、ちょっと小説系からは離れている時期もあって、音楽関係の、伝記モドキみたいなやつだとか、評論みたいなやつとかを結構読みあさっておりました。が、思い出したかのように、再び、中毒の発端のほうへと立ち返ってきまして、先日、当初の目的はほとんど達成してしまったんですよね。「ほとんど」といいますのも、まあ、栗本薫の伊集院大介シリーズは少なくとも図書館で手に入る分については全部読んでしまったんですが、ここ数年のものは数冊手付かずのまま(というか、どっかで買うなりしないといけないわけなんで)でして、あと、村上春樹のほうも小説はあと1作品を残して全部読んでしまったのは読んでしまったんだけども、その、あと1作品がねえ、、、なかなか図書館に戻ってこなくて、というわけでして、だから「ほとんど」。図書館で本を借りて、それが結構人気のあるものだってわかっている上(つまり、その借りた本人も、その本を借りるまでには、それなりに待ったはず)で、もうすでに2ヶ月以上延滞(しかも、夏休みの長期貸し出しも含んでいたから、実質3〜4ヶ月借りっ放し)しているんですけど・・・というのもどうかと思うんですが、回収能力に欠ける図書館もどうなんでしょうねえ。ま、いいけど。実家に帰れば、その本は置いてあるはずなんで、来週帰省したときに読むことにしましょう、と。
さて、ちょっと栗本薫の本のお話。僕は、あまり最近のよく出回っている推理小説とかを読んでない(今までに読んだのって、ドイル、クリスティー、それから乱歩に栗本薫・・・偏ってる)ので、なんともいえないんですけども、昨今のサスペンスドラマを横目で見ている感じにおいては、ありきたりの犯人の生い立ち、動機にはじまって、トリックといいますか、その辺が結局メインなのか?というものばかりなような。いやいや、推理小説っていうのは、そういうものなんだと思ってはいるんですが、にしてもよくここまで同じようなものが氾濫しているよなあ、という印象をぬぐい去ることはできません。(まったくの偏見なんで、「それは違うぞ!」という方がおられましたらご勘弁を)なんですが、彼女の本を読んでいると、それだけじゃないものをたくさん感じてしまって、こういう作品も存在し得るんだなあ、とちょっと発見。多分、こんな雰囲気の推理系の小説って他にもいろいろ書いている人がいるんだとは思いますけどね。ま、社会問題的な面が多いっていうだけかもしれんので、そういう意味では、もしかしたら、最近はそういう風潮があるのかもしれません。そりゃあ、いろんな事件が単なる1つの事件としてではなくて、大きな社会問題になってますからね。(といっても、あまりにいろんなことが起こり過ぎて、すべてはすぐに忘却の彼方に散ってしまうんですよねえ・・・)
読むものが無くなってしまうと、やっぱり手持ち無沙汰なのはあいかわらず。でも、なんでもいいから読みたい、っていうほどの勢いはないので、まあぼちぼちと。だいたい、そんなことにたくさん時間を費やしている場合ではないような気がする今日この頃ですから。来週は研究会で発表だしなあ。