弁当

 最近は、まあ、だいたい週に半分くらいの割合で、昼食用にと、飯をもっていく日々です。「飯」というのも、その字の通り、ほんとにご飯だけでして、あとのおかずは適当に学食にて調達しています。ようするに、食費の節約なんですけど。
 えっと、普通僕が食べているご飯は学食では一杯100円で、それに対して、家で炊いたご飯は、、、5kg単位で2000円弱の値段で買っているわけで、でいつもは一杯3/4合というわけだから・・・ざっと50円弱ですか。多分。その他もろもろ電気代とか考えたとしても、ざっと半分くらいの値段になっているわけだから、まあ立派な節約になっているのでしょう。その分、おかずに使えますから、栄養的にもよいよい。
 さて、つい数週間前までは、単なる保存用タッパーに入れて持っていっていたんですが、最近ちゃんと弁当箱(一膳分くらいがちょうど入るくらいの小さいの)を買いまして、ますます飯持ち込みの生活を送っているわけです。
 最近それだけでは飽き足らす、納豆とかも家から持っていく始末。安いとついまとめ買いしてしまうんですけど、家でなかなか食べる機会がない(納豆は昼に、というのが週間化している気がするんで)んですよね。なんで、持ち込みになってしまった。
 しかしながら、なんといいますか、朝、家を出る時に、かばんの中に入っているのが、筆記用具と、折り畳み傘、iPodにご飯のつまった弁当箱だけっていうのは、いったいなんだろう?確かに、研究は家に持って帰らないようにしているわけではあれども、おまえは学校に何をしに行くつもりだ、といわれても仕方ないよなあ。。。と思った今朝の一幕でした。

最終戦

 W杯ではフランスやアルゼンチンが予選敗退で、なにやら結構波乱な模様を呈しているわけでして、どこが勝ち残っていくのやらさっぱりわからないといった、そんな感じなのですが、まあ、とりあえず、日本頑張れ!というわけで、金曜の最終戦がどうなるか非常に待ち遠しかったりする今日この頃です。
 で、今日、研究室の人らと話をしていたんですが、「金曜のセミナーってどうにからならないですかねえ?」とのこと。え?なんのことだ???しらなかったことでしたが、日本対チュニジアは金曜の3時半キックオフらしく、なんとまあ、金曜の午後といえば、輪読とセミナーで1時から5時くらいまでは完全に缶詰状態の予定。そりゃ、確かに、なんとかならんもんだろうか、と思うのは当然。しかも、今週のセミナーは、学外の人を招待してのセミナーなもんで、もうどうにもならないというのが実情。あらら。というか、おいおい。
 どうにもならなくて、困っている人たちをみながら、思ったこと。実は、金曜の夜って演奏会を聴きに行こうと思っていたから、どうしようか(試合が夜にあると思い込んでいたから)と悩んでいたんですが、そういう意味では、解決。演奏会を聴きに行こう。しかも、別にテレビで観られないぶん、試合その物がみられないことにはそれほどまでにショックを感じなかったり・・・日本戦以外のすべての結果はネットで知ってるだけだしなあ。(日本戦もラジオです)
 そんなこともあったりして、それでもやっぱり、試合をリアルタイムでっていうのが一番なのは当然なんで、ま、大丈夫だとは思っていますが、是非とも決勝トーナメントへすすんでくださいませ。頑張れニッポン!

超常的

 今はどうなのかわからないですけども、少なくともちょっと前だったら、「超常現象」なんていう言葉が出てくることも決して少なくはなかったような気がします。で、この「超常」ってなんなんでしょうね?というわけで、手持ちの辞書で調べてみますと、「超常現象:常識では考えられない現象。科学では説明できない現象」とある。ふ~む、案の定やっぱり変。
 僕は別に科学万能主義というわけではないですけども、なんか、この言葉って変ですよね。「超常現象」を解明する、なんていう話があったりするわけですが、これが一番変。いわゆるところの「超常現象」はぶっちゃけた話、偽物か本物かってことになるわけですが、偽物だったら論外なわけでまあそれはおいておいて、偽物である証拠が見つからなかった場合に、それは、とりあえず「科学では説明できない現象」として扱われるわけなんですが、しかしながら、解明された時点で、これは「超常」ではなくなってしまうのと同時に、さらにいってしまえば、未来永劫にわたって、「科学」で解明できないことなどあるのだろうか?という思いもあったり。
 より正確に言うならば、「その時点の科学では解明できない現象」というところなのでしょう。が、ただ、いつも思うのが、こういった現象を前にした時の、人の反応ってだいたい決まってまして、「世の中には科学で説明できないこともあるんだ」か、「科学で説明できないことなんてありはしないから、これはまやかしだ」か、どっちかなんですが、どっちも、今僕がいっている、「その時点の科学では解明できない現象」という感じではないんですよね。つまりちっとも問題の解決にはなってない。
 常識や、科学法則なんて、今までの歴史の中で何回塗り替えられたことでしょう。それはこれからもずっとそうなっていくんだろうし、その塗り替えられる瞬間が今じゃない保証なんてどこにもありはしない。そういう意味では、広く受け入れていく必要っていうのがあるんじゃなかろうか、とか思ってしまったりします。まあ、もちろん、偽物はいけないですけども。
 ちなみに言うと、宇宙人が別にいたっていいし、超能力があったっていいと思いますよ。幽霊は、集団的無意識の説に一票入れさせていただきますけども。
 全国的に一気に梅雨入り。確かにいきなり雨降ってるし。蒸暑い・・・あ、そうそう、今朝の日食はやっぱりみられなかった。見られた人とかいるのかなあ?

脱力

 今日はちょっとコントラバスのお話。でも当然ですが、専門家じゃないんで、嘘を書いているかもしれない。
 コントラバスに限らず楽器を弾くということに対して、「脱力」という要素は非常に重要だろうと思うわけです。しかしながら、他の楽器はよく分からないですけども、少なくともコントラバスに関しては、「脱力」出来てなくても、弾けないことではないのもまた事実。ただ、力が入っているわけで、いい音も出ないし、これははっきりいって疲れます。
 で、コントラバスの弓の持ち方には2通り(これが他の弦楽器とは異なるところ)ありまして、僕の偏見だという気もするわけですが、自分の印象としては、僕がコントラバスを始めた時にやっていたジャーマン式というのは、今のフレンチ式にくらべて、若干この「脱力」に関してごまかしが効くような気がするわけです。というのも、フレンチに移行してから、つくづく今まで、ごまかしてきたなあ、と思わずにはいられないから。
 「脱力」をすれば、いい音も出るわけで、反対に、力が入る、ということは、いい音・大きな音が出ない→ますます変な力が入る、という感じの悪循環を簡単に引き起こしてしまいます。って、わかっているんですけどね。どうしても、オケで曲を弾いていて、まわりの人が情熱あふれる演奏をしていると、つい右手に力が入って・・・(要注意:情熱あふれる演奏≠脱力、というわけでは決してないんですが、今のところ、僕はそういう感じになっております)
 まだまだ修業がたりんなあ、と思うと同時に、まだまだ「若気の至り」って感じで、大人の演奏は出来ませんねえ、という気がしている今日この頃でした。
 ところで、明日の朝は部分日食です。場所によって、時間帯は若干違いますけども、だいたいが、6時台にはじまって、8時台に終わるような感じらしい。日の出自体は4時台だから、ある程度太陽も上がっていることでしょう。そんなわけだから、今日はさっさと寝よう。

初勝利

 早速書き込んでおきましょう。よかったよかった。ほっ。ここまでは非常に長い道のりでしたねえ。
 テレビで観戦しているのと、ラジオで音だけ聞いているのでは、ずいぶんと感じが違いますね。「あ~、危ない危ない!」などとアナウンサーが叫んでいるわけですが、映像を見ていれば、その危なさをリアルタイムで直に感じ取ることが出来るわけなんですが、さすがに音だけなんで、その叫び声の情報だけが頼りになります。そういう意味では、はらはら感はちょっとだけ差し引かれた感じになりまして、非常に精神衛生上はよろしいです。いつも、こういう試合って、見ていて、見ていられなくなってしまうんですよね。そういうことなしに(ちょっと冷静に)観戦出来るのがラジオですね、と思ったり。(多分、これは、放送者側の意図とは違うんでしょうが)
 ま、だけども、ゴールシーンとかは見られないわけで、それはかなりのマイナス。次回実家に帰った時にでも、特集番組があっていることを期待しておきましょうか。
 試合終了後に、盛り上がるサポータを見てアナウンサーが一言、「みなさん、安全に盛り上りましょう」ごもっとも。

金管発表会

 オケの金管パートの発表会なるものを聴きに行ってきました。九大時代には、オケ仲間の金管アンサンブルの演奏会だとか、そういった類いのものには必ず聴きに行くようにしていたこと(昔の「独り言」参照)を考えると、こっちにきてから、こういうのを聴くのはずいぶんと久しぶりな感じでした。京都にきてから初めてだったし。
 まあ、基本的に金管アンサンブルって好きですからね。特にトロンボーンアンサンブルは。これって、たしかに、トロンボーンアンサンブル自体は、以前は毎年演奏会(上述のようにオケ仲間の)があって聴きに行っていたこともあるわけなんですが、同じ楽器だけでのアンサンブルであることや、音域的には中低音域であることもありまして、そういう意味ではベースアンサンブルに通じることもあるといえなくもないのかな、とか、そういう理由でもって好きなんだろうな、とか思ったりするわけです。
 いわば、僕の中での定番の曲(事前にプログラムが張り出されていたんですが、曲に心当りのある曲は何曲もありましたから)もいくつか演奏されてまして、今までと印象の違うものもあったりして、それはそれで新鮮でした。
 いつも思うことながら、アンサンブルがたくさん出来るのっていいな、って思ったり。なかなかアンサンブル好きな人が集まることってないんですよねえ。四重奏とかはそれなりに計画的に集まらないと遊びですら出来ないですから。と、いいつつも、なにかしらそういうアンサンブルの演奏が出来るような機会に向けて、ひそかに案を練ったりする今日この頃でした。

デジタル化のすすめ

 久しぶりに日付が変わってしまいました。やっぱり、でかける前に、どっかに原稿書いておけばよかった。というか、携帯メールで更新できたらいいんですけどねえ、、、メールサーバも自前にしないと駄目でしょうね。そんなのは。
 さて、今でこそ、CDやMDなどというデジタルメディアが普及しているわけですが、一昔前は、テープやレコードなどというアナログメディアがすべてだったわけです。テープというは、考えてみるとMDより気楽に録音とかが出来たような気がするんですが、(アナログであった分だけ、操作が簡単だったと思う、多分)そういう意味では、ラジオを録音してみたり、日常生活の音声を録音してみたり、というのは、デジタル化してからのほうが、あまりされなくなってしまったのではなかろうか、とか思ってみたり。
 ま、そのあたりの見解の是非はどうでもよくて、本題としては、そういうふうに、いろいろテープというメディアに残された情報というのが結構あったりするわけなんですが、なにしろ、アナログなんで、半永久的?にデータが保存されるらしいデジタルメディアとは違って、情報の劣化や、媒体そのものの破損による損失などというものがつきまとうわけです。(破損はデジタルでもあり得ますけど、メディア自体の丈夫さから考えると、磁気テープはより破損しやすいと思われます。よね?)
 で、最近よくいわれているのが、そういう、いわば10年も20年も前のデータをデジタル化して、未来に残していこう、というそういう動きがあったりするわけです。それに、テープを再生する機械は年々日常生活のまわりから消えていってしまっているわけですし。伊藤家的にもそれは例外ではなくて。先日デジタル化のためにテープが送られてきました。第一段として14本。
 日付を見ると結構すごいですよね。昭和50年とか、生まれてないし。細かな編集は実家に任せるとして、取り込みだけを担当したんですが、さすがに古いだけあって、テープもかなり弱ってます。14本中3本が、再生かあるいは早送りの最中に端までいった勢いで、テープが切れたり。なんか、えらい時間かかってるなあ、と思ったら、ずっと空回りしてたんですよね。ショック!幸い、応急処置により音声の取込みは出来たので、データとしては保存できる形になったんですが、結構ぎりぎりのラインでしたよね。
 そういう意味では、今このプロジェクトが作動して正解でした。他にも、オケのパート発表会のテープもとりこんだりしているんですが、今のうちにやっておかないと、テープ自体の寿命が刻一刻と近づいているようです。
 そういうわけで、アナログデジタル化のすすめです。今のうちですよ。懐かしい録音を将来に残しておくのは。特に20年以上前の録音はかなり危険な状態にあるといっていいでしょうね。

芒種

 ですね。今日から。稲などの様に穂先に芒(のぎ=とげのよう
なもの)のある植物を植えつける季節ということらしい。田植の季節ってことですか。
 さておき、学会申し込みしました。学会自体は9月の頭なんですけどね。申し込みがこの日曜まで。まあ、題名と、簡単な概略だけ送ればいいので、それほど問題はないんですが、しっかしうまくいきますかねえ・・・
 ここ数日は、ずっと数式と格闘。
・・・えーとラプラス変換するわけで、、、そしたら、ベッセル関数がでて、、、これを展開して級数表示、、、最高次?いや最低次でいいのか?、、、これが十分小さいとすると、、、うぎゃ~ちがーう!やり直し・・・指数関数とベキの積だから、、、いや、やっぱりここで近似するのはよくなくて、、、ベッセル関数は避けられない?、、、う~む、フーリエ変換のところから考えなおす?そりゃ無理か、、、
とまあ、こういう日々です。まだうまくいってない。気が抜けると10分でも長く感じるのに、調子に乗っている時は、紙と鉛筆持ってあっという間に数時間が経過していたりします。なんでもそういうもんですけどねえ。しっかし、なんとかならんもんかなあ。せっかくいいアイディアだと思っているんですが。。。
 1月以内に結果が出なければ、この話はとりあえずなかったことになってしまいます。講演内容をもうちょっと詳しく書いてださないといけなくなるから。ま、ここまで来るのだって2週間くらいだったわけだから、あと1月もあれば、なんとかなるでしょう、と思いたい。
 行き詰ったら気分転換。これ大事ですね。特に理論系では。

最近

 先週の頭に、Macのソフトを公開してから、アクセス状況が一変してしまったわけですが、よく見てみると、必ずしもMacのページだけにアクセスが集中しているわけでもなく、他のページも、今まで(先日大改造するまで)とは違って、コンスタントに人が訪れてくれているようです。感謝感謝。
 なんといっても、1日平均30アクセスで喜んでいた自分が、今や150くらいあるのが当然になってしまったので、その印象の変化がものすごい。とはいえ、そんなに頻繁にソフトのアップデートも出来なくなるだろうし、こういう数値を気にするのもあんまり意味がなくなってきたような、そんな気分ですね。
 ただ、1つ嬉しいこととしては、訪問者のOSを集計すると、最近は上位1~4がWin系(98 Me 2000 XP)だったのに、ソフトのおかげで、今やMacが1位におどりでんとする勢いです。やっとMac系のコンテンツも扱っているサイトっぽくなった感じですね(笑)
 そうそう、ついでなんで、いっておきますけども、ここ数日は、毎日のようになにかしら更新している気がしますが、たまたまなんで。たまたま更新するネタがあるだけなんで、別に頑張って毎日更新!なんてものを掲げているわけではありません。よって、そのうち、以前のように1週間くらい更新がないのも普通になってくる時が来るでしょう。でも、それでも、僕の意識としては今と一緒なんで、気にしないように。
 人がたくさん来てくれるサイトっていうのは、やっぱりいじりがいがあります。楽しいもんですね。これからもよろしくです。

引き分け

 でしたねえ。W杯。まあでも、負けなかっただけよしですね。なにしろ2点もとったわけだし。「惜しくも引き分け。初の勝ち点」という感じの見出しがすべてを物語っているような。引き分けは悔しいけど、勝ち点を取れたのは、すごいぞ、と。お疲れさまです。
 え?テレビもないのにどうしてたのかって?ラジオです。はい。このために、わざわざ、コンポの入っていた箱を奥から引っ張り出してきて、中に入っていたAM用のアンテナを装着、で、聞いてました。僕はラジオだったんで、確かに今一つ臨場感に欠けるものはあったわけですが、となりの部屋から歓声とか聞こえてましたし、多くの人は今日のこの試合を観ていたんでしょう。
 さて、奏子にも書いてるんですが、そんなさなか、落札したカセットデッキが届きまして、開封、接続なんていう作業も同時進行しておりました。
 パソコン机の下にコンポが収まっているんですが(ちなみにサーバもそうです)まあ、そのコンポって、我家の音楽環境の中枢でして、レコードプレーヤーの再生からパソコンの音声の入出力にいたるまで、すべてがコンポを経由して行われているわけです。したがって、コンポのうしろにはコードがたくさん・・・いわゆるオーディオスパゲッティですね。さらにほこりまみれで、大変なことになってました。机の下にあるわけだし、机のうしろはほとんど壁に密着しているわけで、なんともいえない作業空間です。狭いところに腕を突っ込んだり、手探りでコードを差し込んだり、そういうことをしながら、まあ、コンポまわりの環境をちょっと再構築してました。
 そんなことをしているうちに、終了のホイッスルも鳴ってしまい。まあ、日本第一戦終わり。おつかれさまでした。次も頑張ってくださいませ。