これは相方さんの
に感化されてのエントリです。
そしてこれは昨日出来たての専用靴
あの日のことは今でも覚えています。
「とにかく今すぐに帰ってきて欲しい」
そう連絡を受けた僕は、大急ぎで会社から出ました。
当時は難波(大阪のミナミ)で働いていたので、そこから丸太町(京都の真ん中くらい)の病院に行くのはそれなりに時間がかかります。
京阪電車に揺られながら「なにがあったんだろう?」という想像力は果てしなくいろんな方向へ広がっていきました。もちろん最悪の方向へも。
「この子はダウン症かもしれない」
この瞬間にその「ダウン症」という言葉をしっかりと受け止められたかどうかはわからないけれど、それよりもなによりも、想像力の行き着いた最悪の事態ではなかったことに本当にほっとしました。
「生きているならそれでいい」
僕にとってはそこがすべてのスタート地点。
今でもあの時のことは脳裏によみがえってくるので、なにかあればわざと思い起こすことにしています。
生きているなら、それでいいじゃないかと。笑顔で生きているなら、こんなに幸せなことはないんじゃないかと。
とはいっても、実際に検査結果が出た時にはショックだったし、いろいろありすぎて3人目が生まれてくるまでの出来事はほとんど覚えてない気がするし、いつか「おとーさん」っていってくれるといいなって思ったりしてます。そんな感じ。
と、普段あまり家族のことは書かないんだけれども、なんとなく書いてみました。おしまい。
余談ながら、僕の兄には重度の知的障害があります。小さい頃から日常的に養護学校や施設に遊び(手伝い)に行き、障害のある人たちに囲まれて過ごした僕にとってはなにかしらのハンディキャップがあるということが全く知らない別世界の話ではなかったというのもあるんだろうなとは思います。