京都市交響楽団 第701回定期演奏会を聴いてきました

たまには京響聴いてみるのもいいんじゃない?って家族にオススメされまして、それならせっかくだしっていきおいでセレクトセット会員になって、その最初の演奏会にいってきました。

あまり覚えてないけど、もしかしたら京響の定期を聴くのは初めてです。京都に来てもう20年以上この地で音楽を趣味にしてたのにね。そして当然沖澤さんも初体験。

とくにかくまずは沖澤さんの演奏会に行きたかったから、というのもあって、曲目気にせずに予約したわけですけれど、これがまたおもしろい演奏会でした。

第701回定期演奏会 – コンサートスケジュール詳細 | 京都市交響楽団

曲目 G.レンツ ヴァイオリン協奏曲「…to beam in distant heavens…」 (日本初演)
タイユフェール 小組曲
ラヴェル 組曲「マ・メール・ロワ」
デュカス 交響詩「魔法使いの弟子」
指揮 沖澤 のどか
Vn独奏 アラベラ・美歩・シュタインバッハー
日時 2025年6月20日(金)
場所 京都コンサートホール

金曜日の回にいったのでほんとに日本初演。これを書いているのは土曜日だしもうネタバレOKですよね。

まず演奏前の第一印象としては、スコアでか!どのくらいやろ?A3とかB2くらいのサイズでは?めくるのも大変そうだった。と思ったら、休憩中に指揮台から板(スコアが置いてあった部分)を取り外していて、そこ大きく拡張できるようになってたんかーと(これは文字では説明難しい)

事前情報として得ていたお箸とハンマーはちゃんとわかったんだけれど、ワインボトルはわからなかったの残念。あと、絶対後ろから音が聞こえると思いつつ振り返れなかったけど、カーテンコールで後ろにも拍手を送っていたのでおそらく3階席後部から演奏(Vnのバンダ)してたのかな、と。

なにしろ約40分、楽章の切れ間無しのコンチェルト。なによりソリストの集中力さすがっす。こっちもいろんな表現に意識を集中させながら、40分って感じなかったなあ。

休憩中に、舞台上の大引越。こういうの、アマオケの本番では大変そう、とかそういう視点で見てしまう。なんなら、後半のプログラムでも、曲間でセッティング切り替えてたし。

後半はフランスもの三昧。といってもわりと近代の作品メインで、なんならデュカスが一番古くてこれだけ19世紀の曲なのよね、って感じ。どれも浮遊感あって、おしゃれでしたねえ。魔法使いは派手で満足。

次は高関さんのマーラーを確保してますし、そのあとはまた沖澤さんのシェヘラザートかなあ。

会社で会員になって、名前掲載OKにしたので、なんとなく宣伝っぽい。

いつもステージ上にいることのほうが多いから、客席で聴くのは新鮮。なんなら、車で行くことが多くて、地下鉄北山駅からホールに向かうのにこんなだっけ?みたいな違和感あるくらいで。

そうそう、アマオケ視点でいうと、QRコードでのチケット認証、なるほどここでは専用の機械(QRコードリーダー)というよりはiPadをいい感じ(カメラ下向きで台の上において、お客さんがその台の下にQRコード上向きで差し込む)に配置してるんですね、とかそんなこと思ってました。

地元のプロオケ、今さらながらにもっと応援していきたいですね。

「マーラー (作曲家・人と作品シリーズ)」を読みました

スコアも読まなくちゃだけど、課題図書もね、と。(スコアよりは圧倒的に持ち運びやすいので、通勤読書用)

半分は楽曲解説なので、ちゃんと読んだのはいつもながらに前半部分だけですが。

この時代になると職業指揮者、職業作曲家、職業指揮者兼作曲家、っていう風にいろいろ分かれてくるのかなと思ったわけですが、同時代の知っている作曲家の名前が出てくるのは当然ですが、20世紀初頭の巨匠と呼ばれた指揮者もでてきてほほーってなったり。

自分の書いた曲は自分の思い通りに演奏してほしいと思うのはまあそりゃそうだってことなんですけれど、棒振りとしても生計を立てていたからなおさらだったのかな。そこから生まれたあの大量のテキストたち。(昔はドイツ語辞典片手に苦戦していたけれど、今はネットに先人の知恵がたくさんあるので助かってます。あとAIもあるしね)

アルマとの関係はいろいろよくわからないところもあったり、時代だなあというところもあったりですが、亭主関白ではあるけど女癖が悪かったわけじゃないんだなあこの作曲家は、というそういう視点になってしまうわけで、それだけ作曲がそれぞれで女性関係に多彩バリエーションがあって、これくらいでまあそんなパターンもあるよね、という気持ちです。

本編とは直接関係ないかもですが、近代の作曲家と思っていたものの、やっぱり20世紀中盤以降(現代)とは違って医療技術の進歩が・・・って思った今日この頃。

まあ、例によって、これを読んだから演奏にどうっていうことにはならないけれど、せっかく演奏しますしお近づきの印にということで、ちょっとだけでもその音楽に近づけるといいな。そしてスコア読まねば。

京都市民管弦楽団第111回定期演奏会でした

暑かったり肌寒かったり雨が降ったり、そんな5月の後半、さいわい天気はなんとか持ち直して演奏会も無事におわりました。

曲目 芥川 交響管弦楽のための音楽
シューマン 交響曲第3番「ライン」
サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」
シューマン(サン=サーンス編曲) 「夕べの歌」
指揮者 中田 延亮
場所 京都コンサートホール

なんといってもオルガンですからね、と。

あと、偶然、開場直前にステージに行ったら空だったので。

まあ何度となくいろんな人が口にしていましたが「なぜこんな大変プログラムになったのか」と、まあそうはいっても最終的にはお腹いっぱいな音楽をお届けできたんじゃないかなあと思ったりするわけです。

一応なんとか最後まで走りきることができましたし、それはめでたし。

とはいえ、細かくはいろいろやらかしてしまったり、集中力を維持し続けるのは大変だなあ、というところですが(なんなら、アンコールはあの短さで数えるの忘れかけて危なかった)、次はもっと大変だからなあ。。。

とにかく、ステージでオルガンを全身で感じることができたのでそれで満足ってことで。

おいしいお酒も飲めました。

普段の練習ではいつも録音しており、打ち上げでもその話になったんですが、この半年でマイクがパワーアップしてまして、ホールの練習録音とかかなりいい感じで満足。

MV88+ Video Kit – デジタル・ステレオ・コンデンサー・マイクロホン – Shure 日本

関係者のみなさんおつかれさまでした。いつも協力してくれて聴きにも来てくれる家族には感謝感謝。

次はこんな感じで、スコアもさることながら課題図書(評伝)も今日から読み始め。

演奏会のお知らせ : 京都市民管弦楽団第111回定期演奏会(2025.5.25)

土日合わせて10時間近い集中練習を乗り越えたところで、気がつけばもうあと一月ちょっと?(5週間前)になりまして、所属オケの演奏会のお知らせです。(最近お知らせのタイミングが本番1月前くらいになってきたなあ)

日時 2025年5月25日(日) 13時開場 14時開演
場所 京都コンサートホール
曲目 芥川 交響管弦楽のための音楽
シューマン 交響曲第3番「ライン」
サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付き」
指揮者 中田 延亮

各所で話題になるんですが、なんでこんなプログラムなったのか、といわれれば、投票していったら結果的に、、、としか。。。

ダブルシンフォニー、トリプルメイン?みたいな言われ方もしておりますが、それはさておき。

京都市民管弦楽団

今年、何度も言ってますけれど、芥川先生生誕100年ですよ。もっと自国の作曲家は演奏されてもいいと思うんですけどね、というわけで(個人的に)企画第一段ということで。

どの曲も演奏経験ありなんですが、というか、芥川とサン=サーンスは京都市民管でお手伝い経験ありなんですが、自分がトップで弾くとまた全然雰囲気違いますよね。なにしろ、サン=サーンスはちゃんと拍を数えられないところからスタートですからねえ(少なくとも自分は聞き覚えでは無理だ〜)

で、なによりも、ほんとに体力勝負。シューマン、休み少なすぎない?ほとんど弾きっぱなしなんだけど、なんでそんなことを・・・曲の激しそうなサン=サーンスのほうが休み多いっていう現実。どっちにしてもヘトヘトだし、なぜこれを同じ日に演奏しようと・・・といってもあれなので、せっかくですし、お客さんにはお腹いっぱいになって帰ってもらえるように体力付けて望みたい所存です。

ちなみに、今回の参考書籍たち。サン=サーンスはそのものっていうのは見つからなかったんですが、それっぽい文献にいくつか目は通せたかなあ。

「日本の作曲家 芥川也寸志」を読みました – いとーけーのページ(2024.10.29)

「ぷれりゅうど」を読みました – いとーけーのページ(2025.3.25)

「シューマン (作曲家・人と作品シリーズ)」を読みました – いとーけーのページ(2024.12.5)

そういうわけで、手元にチケット何枚かありますので、たまにはいとーけーの演奏姿でもみてやるかっていう人は是非お声がけくださいませ。

初夏の京都の観光がてらにちょっと北のほうまで足を伸ばしてみてくださいな。

「ぷれりゅうど」を読みました

生誕100年ということで、芥川先生の作品を演奏する機会に恵まれましたのでいろいろ読んでいるところです。

いつもここに書籍購入用のリンクをはるんですけれど絶版しているので、大元のリンクだけはっておきます。

『ぷれりゅうど』 | 筑摩書房

エッセイ集と自叙伝なので、まあ一部ではおじさんのぼやきみたいなところがありまして、今風には微妙な一面もあるんですが、それはそれとしても、音楽のプロ/アマチュアに対する考え方とか、日本の作曲家(というか最近の作曲家)への思いとか、もちろん書かれたのはもう何十年も前の話ではありますけれど、ふむふむなるほどと思うところも多いですね。

父の印税で生活していたことから音楽の著作権へというくだりはなるほどそれはそうか、と。

アマチュア=愛好家なので、それはプロか素人かという話ではない。音楽はみんなのものであるべき。代償を求めず音楽を愛し、没入する気持ちこそアマチュア魂。ただひたすらになにかを愛することのできるひとたちが素晴らしくないわけがない。(本文より抜粋ざっくり要約)

そんな想いを胸にしつつ演奏できたらいいなということで、まずは練習しなくちゃだ。

ちなみに、古本で入手した経緯はこちら。

2613: 絶版本を求めて – itokの日記(2025.3.20)

第51回京都市民管弦楽団「室内楽の集い」でした

自オケの団内アンサンブル発表会「室内楽の集い」にちょっとひさしぶりに参加してきました。

作曲 曲目 編成
シューベルト 八重奏 ヘ長調 D803 より第4・5楽章 八重奏(Vn2/Va/Vc/Cb/Cl/Fg/Hr)

前回が初参加で48回だったようなのでもうあれから1年半くらいたってることになりますね。

ベース一人っていう体験がものすごくひさしぶりなのでは?あれ、いつ以来?思い出せないくらい。ぱっと思いつきで、同じシューベルトの「鱒」までさかのぼってしまいますね(10年くらい前だ)。

それはさておき、いつも小編成といっても指揮者ありの弦楽アンサンブル(しかも弾かないことが多い)なので、練習期間はそんなにはなかったですけれど、勉強になりました。シューベルト節堪能しましたよ。というかほんと鱒に似てるよねえ、と。

本番の演奏番が最後だったこともあって、最初から直前の団体までをずーっと聞いていたんですが、やっぱこういう小ぶりなアンサンブルもいいですね(個人的には、ブラスアンサンブルがいつもお気に入りです)。オケも弦楽くらいの規模もいいけど。まあ、ベースにはあまり縁のない話ですし、自分から率先してというほどの意気込みもないですが。

なんにしてももっと練習しないとなあと思った今日この頃。弾く時間を確保できていなくてすいません。

あと、みんながいっぱい録音してて、録音機材に興味津々だった。みなさん専用機材なんだなあ。今日はなにもしていないけれど、普段の録音機材的にスマホ+マイクは自分くらいか。なんかスマホ母艦のほうがいろいろ汎用性ありそうなんだけれど、そのへんはいろいろ好みもあるかあ、とか。今の環境もう一歩グレードアップしてもいいかもねえ、どうかねえ。

あ、話がそれてきましたが、なんにしても関係者のみなさまお疲れさまでした。会のとりまとめ、いつもありがとうございます。

「バッハ (作曲家・人と作品シリーズ)」を読みました

大物きました!パパ。

読み始めて思ったわけですが、バッハさん、本人が直接残したものって楽譜以外にはすごく少なくて、教会とか学校に残された記録が頼りになっていたり、しかも17-18世紀って江戸時代だし、他の音楽家以上に古い歴史上の人物の足跡をたどるっていう印象が強かったです。いついつどこどこでこんなことしたんじゃないかといった推測とか、そういうのばかり。ちょっとニュアンス違うかもですが、今まで読んできた作曲家は近代史から現代史という感じですが、バッハは近世史ということなんだなあ、と。

なにしろ、譜面もすべてが出版されているわけじゃない(というかほとんどされていなかった)から本人の直筆譜かまわりの弟子親族の筆写しか残っていないわけですし、それすらも残っていない記録にしかない失われた譜面(遺産相続とか、その後に売却されたり)もたくさんあるようで。

あとバッハ一族ひとが多すぎる。分類上、親族にみんな番号振られてましてね。我らがセバティアン(みんなバッハなので文中ではセバティアン)は24番でした。

そんなわけで本文中には日常的なエピソードのようなものはほとんど無くて、バッハの人となりとか、どういう思いで曲を、みたいなのは感じ取りにくかったわけで、とはいえ膨大な資料の前にあるたった一冊の本を読んだだけですけれど、その向こうにある広大なバッハの海をちょっとだけ垣間見た気がしました。ある意味これが歴史ロマンということなのかもしれない(知らんけど

愛妻家っていうエピソードをよく耳にする気がするのも、他に人柄的なもの(大勢に影響しない範囲で)が見当たらないからかもしれないですね。ちなみに、前妻との間に7人、後妻との間に13人の子どもができました。

そうそう、メンデルスゾーンさんが、マタイ受難曲を復活上演したことで再評価され、研究が再開されたっていうくらいで、バッハ研究自体も歴史が長くて・・・と書いていたら支離滅裂になってきたので、気になる人は手に取ってみてくださいな、と。

オケではなかなか巡り合わないですけれど、弦楽アンサンブルでは三度目のご対面。今までよりはちょっとだけ近づけた気がするし、またよろしくお願いします、ってことで。

「シューマン (作曲家・人と作品シリーズ)」を読みました

今シーズンの作曲家はこちら。先日芥川さんも読みましたけれど、シューマンはいつものシリーズで。

クラーラ(クララ)とのラブラブ話はなんとなく知っていたものの、もともとはクラーラのほうが有名な音楽家(ピアノ奏者)過ぎて父親から猛反対、結婚するために裁判までしたなんてね、それは大変。あとでちゃんと義父と仲直りできたからよかったけれど。

メンデルスゾーンとかリストとか、そういえばそっちの評伝読んでた時にもシューマン出てきたよねえ、という同時代の作曲家つながりのある中、例の人物はなかなかでてこないなあと思っていたら、終盤にやってきました若きブラームス。ブラームス以外の三人は生まれもほぼ同時期だけれど、ブラームスは20年以上年下だから仕方ないですが。そして、意図していないブラームス vs ワーグナーの構図(これもいろんなところで読んだな)。

精神的な起伏が激しめで、すごい多産の時もあれば、そうでない時も、、、という感じですし、最終的には精神病んじゃって、クラーラにもほとんど会えずにって感じでちょっとつらい最後でした。

作曲家として残っていますが、文才もあった(という親は出版業界)ようでそれで音楽評論とかいっぱい書いて、そうそう↑のブラームスの件とかもそうですよね。多く歌曲もそういうところからでているかと思うと、また知らない一面を垣間見たかな、と。

さて、ケルンの大聖堂まだできてなかったんか〜と思いながら、ライン弾きますかね。

そういや、この時代のみなさんのエピソードに出てくるワーグナーさんについてはまだ読んでないなあ。オケでやる機会が、、、ということなんですけれど、そのうちあるかな。

「脳と音楽」を読みました

SNSを流れてきたので気になって手に取ってみました。

で、これこそ私がほしかった本でした、ほんとに。

もともと科学(数学)と音楽の話は結構好きで、こちらとかなにかと参考にしたりすることもあるのですけれど、

そこにさらに脳(音楽の認識者としての人間)を加えて、なぜ人間は音楽を感じるのか、に踏み込んだ一冊となっております。

数学的に音階を組み立てることはもちろんできるのだけれど、ではなぜ全音が今の間隔で、オクターブの音の数を5ではなく7にしたのか、そのあたりも耳の構造から読み解いていろいろ腑に落ちた。

もちろん、すべてが脳内の電気信号に変わることで信号として処理される、といってしまうとそれはそれで味気ないところではありますが、そうはいっても脳の動きはとても複雑なので、さすがに音楽を聴いたことによる感動までは解明できていないといいますか(なんか、ある意味安心)

私ももともと物理を専攻していたので、大学オケ仲間と「音と物理でもっと音楽のことを解明できるんじゃないの」みたいな戯言をいってたなあと(ほんとに言ってただけですが)思いながら、それがいまここにあるのでは、という興奮さめやらぬ感じで読んでました。

音と脳の関係、音階の成り立ち、音楽の成り立ち、なぜ音楽に心動かされるのか、そして最後には音楽とはなにか、言葉と音楽は何が違うのかをケージやリゲティなどの前衛的な作品を引き合いに出しながら締めくくっていて、自分的にはなるほどなあと。ほんと「なるほど」ばかりだった。

とりあえず、音波(空気の振動)と音(音波を耳と脳で処理した結果の感覚)は違うよっていうことだけここに書いておきます。あと、緊張と緩和大事。これはしばらくネタとしてしゃべってそう。

音楽関係者はぜひ読んでみてください。特に理系な人ならはまるのでは。

京都市民管弦楽団第110回定期演奏会でした

急に秋っぽくなって、肌寒い秋晴れの日曜日、本番が無事におわりました。

曲目 スメタナ 連作交響詩「我が祖国」より
     ヴィシェフラド、モルダウ、シャールカ
ドヴォルザーク 交響曲第7番
ブラームス ハンガリー舞曲第6番(アンコール)
指揮者 茂木 大輔
場所 京都コンサートホール
備考 全曲トップ

(いい感じのリハ写真撮るの忘れてた・・・)

どの曲もコントラバスがめちゃくちゃ目立つということはないのだけれど、常に縁の下の力持ちで、といった感じですね。特にスメタナは弾きっぱなしのところも多くて体力的問題が・・・というかかなりペース配分気にしながら弾いてました。

ペース配分という意味では、全体的に落ち着いて演奏できたんじゃないかと思いつつ、たまに目が合った指揮者からOKサインもらったりして顔に出さないようにニヤニヤしてしまうところも。こういうのは本番の醍醐味。

ちなみにチェコプログラムで最後にいきなりブラームスなのはハンガリーつながりとドヴォルザークがニ短調(最後はニ長調でおわる)でブラームスがニ長調という調性つながりでした。

終演後のカーテンコールで、ベースの位置まで握手に来ていただけたのはびっくりで嬉しかったです。よくあるパターンは遠隔握手的なものが多いので。

茂木先生(自分らの世代的にはほんと書籍やらメディアやらで有名人)のおかげもあって、お客さんもたくさん入ったようですし、ほんとに以前の雰囲気に戻ってきたかなあという印象。

おいしいお酒も飲めましたし、関係者のみなさんおつかれさまでした。いつも協力してくれてる家族にも感謝感謝。

次回は、といいつつまだスコアがこれしかないや。

参考図書は・・・って、茂木先生のはフライングゲットというやつですね。サイン入り。