「モーツァルト (作曲家・人と作品シリーズ)」を読みました

モーツァルトというとどうしても映画「アマデウス」のイメージが記憶に鮮明に残ってしまっている今日この頃です。あれはフィクションだとわかっていても、どうしても、あのイメージになっちゃうんだよなあ。

さて、私の好きなピアニスト、バレンボイム氏曰く

作曲家には四つの種類の人々がいます。面白くない作曲家。面白い作曲家。偉大な作曲家。そしてモーツァルト。

のモーツァルトです。

イメージだと、神童でもてはやされて、そのまま有名な作曲家になって大忙しで、そして借金に追われつつ早世、、、という感じだったけれど、そんなことなかった。就職活動めっちゃ苦労してるし、ザルツブルクから、最終的にウィーンに出てくるのもめっちゃ時間かかってるし、ウィーンにいたのもたったの10年だし、とそうやったんや〜という感じ。

晩年のお金無い話もいろいろ新しい説も出たりしているようで、知ってる歴史が更新されているのを目の当たりにしたというかなんというか。

あとあれですね、下品なイメージあったけれど、親が書いた手紙にも下ネタあったみたいで、もしかしたら当時の流行だったのではっいうのはなんかおもろいな。

音楽家としてはもちろんいうまでもなく、それこそ神の才能なんですが、最後の交響曲3曲を2〜3ヶ月で書いたっていうのは本気ですか、みたいになった。あのジュピターがそんなにあっさりと誕生したのかという、まさにこれがモーツァルトか。

ちなみに今度取り組む曲もその時期の曲なのでそんなことも考えつつ、音楽つくっていけたらいいなあと思う次第です。

「グスタフ・マーラーの思い出」を読みました

11月の演奏会に向けて滑り込みで。

絶版なんですよね。なのでネットで古本屋さんを巡ってようやく入手。状態もいかにも古本(古書)って感じでしたが、それはそれとして。

作曲家に関しては、伝記とか自叙伝とか、こういう系統の本はほとんど読んでなかった(いつも読んでるのは評伝という感じのジャンル)んですが、この人(ナターリエさん)のはすごくよかった。自分の話はほとんどせずに、良くも悪くも淡々とマーラーの様子や言動を日記として書き残して、それがこの手元にあるわけで。

マーラー本人の言葉をできる限り正確に残してきたということを前提とするなら、いろんな答えが普通にたくさん転がってました。

もしなにか意味のあることを言うのであれば、すべては過剰なほどに豊富に存在しなくてはならないし、ひっきりなしに湧き出てこなくてはいけないんだよ

これ冒頭10ページで出会って、あーだからあの音の洪水か、と。

彼は、ゆっくり演奏してほしいところには、彼をはじめ皆がきまってやるように「リタルダンド」ではなく「急がずに(ニヒト・アイレン)」と記し、逆に次第に速くしたいところには、ただ「ひきずらぬように(ニヒト・シュレッペン)」とだけ書いた、ということだ。

はい、完全に正解ここにありましたー!ってね。

ほかにも、いわゆるベートーヴェンやシューマンの演奏時に編成に手を加えたこととかそのあたりの事情もあったり、それだけでなく、当時はこれだけ頻繁にいろんな演奏があったんだなあとか、曲が出版されないということはつまり総譜のオリジナルのバックアップができないという事情だったり、今まで読んできた評伝では知りえない生の声みたいなのを垣間見た気がして新鮮でした。

マーラーの指揮はどうだったんでしょうね。今見てもすごいのかな、今だとわりと普通なのかな、どうかな、というそんな妄想も。

どっちにしても、作曲家がほかの作曲家の曲を指揮するというのは胸中うごめくものがあったんだなあ、と。

時代的には交響曲第4番の演奏まで、ということで、残念ながら5番の話はちょっとだけ作曲中の3楽章のくだりが出てくるくらいなんですが、4番も演奏経験ありなのでそこはふむふむと読めたり、逆に2番とか3番の話はふーん(いつか演奏する機会があれば)となったり。

んで、これらの日記の最後が

マーラーは六週間前にアルマ・シントラーと婚約した。

からはじまる一節で終わってるのもなかなか印象的で、なんにしてもこれが絶版なのがほんとにもったいないです。アルマさんのは読んだことないけれど、少なくとも交響曲第4番まではこちらが詳しいですからねえ。

少しだけ近づけた気もしますし、また楽譜に向かった時の印象も変わるかも。気持ちの問題ですけどね。

何度も書いてますように絶版ゆえに残念ながら広くオススメはできないんですが、もしなにかの縁で手に取れる機会があれば是非。

「マーラー (作曲家・人と作品シリーズ)」を読みました

スコアも読まなくちゃだけど、課題図書もね、と。(スコアよりは圧倒的に持ち運びやすいので、通勤読書用)

半分は楽曲解説なので、ちゃんと読んだのはいつもながらに前半部分だけですが。

この時代になると職業指揮者、職業作曲家、職業指揮者兼作曲家、っていう風にいろいろ分かれてくるのかなと思ったわけですが、同時代の知っている作曲家の名前が出てくるのは当然ですが、20世紀初頭の巨匠と呼ばれた指揮者もでてきてほほーってなったり。

自分の書いた曲は自分の思い通りに演奏してほしいと思うのはまあそりゃそうだってことなんですけれど、棒振りとしても生計を立てていたからなおさらだったのかな。そこから生まれたあの大量のテキストたち。(昔はドイツ語辞典片手に苦戦していたけれど、今はネットに先人の知恵がたくさんあるので助かってます。あとAIもあるしね)

アルマとの関係はいろいろよくわからないところもあったり、時代だなあというところもあったりですが、亭主関白ではあるけど女癖が悪かったわけじゃないんだなあこの作曲家は、というそういう視点になってしまうわけで、それだけ作曲がそれぞれで女性関係に多彩バリエーションがあって、これくらいでまあそんなパターンもあるよね、という気持ちです。

本編とは直接関係ないかもですが、近代の作曲家と思っていたものの、やっぱり20世紀中盤以降(現代)とは違って医療技術の進歩が・・・って思った今日この頃。

まあ、例によって、これを読んだから演奏にどうっていうことにはならないけれど、せっかく演奏しますしお近づきの印にということで、ちょっとだけでもその音楽に近づけるといいな。そしてスコア読まねば。

「向日葵の咲かない夏」を読みました

子どもが買ってきた本を横から読ませてもらいました。ちょっと前の本ながら、最近話題になっていたようで。

ホラーミステリーっていうのかな。まあ、殺人事件を取り扱う話なんてだいたいが狂気・猟奇な感じになるよね、、、と、あー痛いのはいや〜とか思いながら、そういえば自分も高校生くらいのころは「天狼星」とか読んでいたわけであれに比べれば、というかあれは今は読めないだろうなあ、とか。

先に読んだ子どものネタバレにならない程度のちょっとした前知識を元に、これは「ハサミ男」的にきっとだまされるんだろうし、まあそれを楽しみに読み進めていこう、なんて通勤電車でぼちぼちと読んでいたわけですが、まあ、最後はめっちゃしてやられましたね。

そうきたかー!いや、確かに違和感ある描写だったりはしたのですよ。でもそっち?!みたいな感じで、これはまたちょっと時間あけてもう一回読んでみるといいかも。今はぱらぱらっと振り返って、なるほどこのへんがそうかーみたいな状況ですが。

というわけでおもしろく読ませていただきました。

ただ、小学生主人公だとどうしても完全に親目線になっちゃうよね、それも仕方のないことですが、というか別にそれはそれでいいんだろうけれど。

「ぷれりゅうど」を読みました

生誕100年ということで、芥川先生の作品を演奏する機会に恵まれましたのでいろいろ読んでいるところです。

いつもここに書籍購入用のリンクをはるんですけれど絶版しているので、大元のリンクだけはっておきます。

『ぷれりゅうど』 | 筑摩書房

エッセイ集と自叙伝なので、まあ一部ではおじさんのぼやきみたいなところがありまして、今風には微妙な一面もあるんですが、それはそれとしても、音楽のプロ/アマチュアに対する考え方とか、日本の作曲家(というか最近の作曲家)への思いとか、もちろん書かれたのはもう何十年も前の話ではありますけれど、ふむふむなるほどと思うところも多いですね。

父の印税で生活していたことから音楽の著作権へというくだりはなるほどそれはそうか、と。

アマチュア=愛好家なので、それはプロか素人かという話ではない。音楽はみんなのものであるべき。代償を求めず音楽を愛し、没入する気持ちこそアマチュア魂。ただひたすらになにかを愛することのできるひとたちが素晴らしくないわけがない。(本文より抜粋ざっくり要約)

そんな想いを胸にしつつ演奏できたらいいなということで、まずは練習しなくちゃだ。

ちなみに、古本で入手した経緯はこちら。

2613: 絶版本を求めて – itokの日記(2025.3.20)

「スタッフエンジニアの道」を読みました

年末年始の読書、といいつつ、実質は年明けてから通勤途中に地道に読んでました。電車乗ってる時間といえば往復で20分くらいなので、ほんとに地道に。

ご存知のように私は一人CEOでエンジニアでフリーランス的なこともして、自社のプロダクトもありますし請負の仕事もあるんですが、最近はそれに加えていろんな開発会社さんにも顔出させてもらってる状態です(2025年2月時点で、準委任的な業務委託は複数件同時進行)。

もちろん参加しているプロジェクトが自社が主体ではないのでマネジメントはしないわけですけれど、一プログラマとして関わっているものから、どちらかというテックリード(技術顧問?)みたいな立場のものもありまして、立ち位置的なものをなんとなく切り替えている今日この頃でした(心の中では「自称、傭兵エンジニア」って思ってるんですがそれはさておき)。

そんなタイミングで、この本が流れてきたので、これはなにかちょうどいいのでは?と思い手に取ったのが去年末、ということで。

この手の本が存在しないという出だしではありましたが、確かに人のマネジメントの本でもプロジェクトマネジメントの本でもなければ、設計やアーキテクチャの本でもないです。技術者の管理者ではない上級職としてのスタッフエンジニアとはなにか、どうあるべきか(ある「べき」というよりはどうあればよいか、かな)、みたいな感じでしょうか。日本でそういう立ち位置の人はどのくらいいるのかな。

自分くらいの年代のエンジニアさんは読んでもらったらいいのでは、と思うわけですが、まあとにかくコミュニケーション大事、あと自分の時間(≒自分の幸福)大事。

「時間があると思って何でも手を出してませんか?」みたいな記述に「完全に今の私では・・・」ってなったりw

最後に書かれていた「ソフトウェアに真剣に取り組む」これはほんとに大事。技術で世界が変えられると思ってこの仕事をしているわけだから、その技術に責任を持って、みんなの生活が少しでもよくなる、そんなプロダクトを世界に届けられたらいいですね、と。そんな初心のようなものも思い出させてくれました。

とりあえず、今日も明日もコード書いていきましょう!

「バッハ (作曲家・人と作品シリーズ)」を読みました

大物きました!パパ。

読み始めて思ったわけですが、バッハさん、本人が直接残したものって楽譜以外にはすごく少なくて、教会とか学校に残された記録が頼りになっていたり、しかも17-18世紀って江戸時代だし、他の音楽家以上に古い歴史上の人物の足跡をたどるっていう印象が強かったです。いついつどこどこでこんなことしたんじゃないかといった推測とか、そういうのばかり。ちょっとニュアンス違うかもですが、今まで読んできた作曲家は近代史から現代史という感じですが、バッハは近世史ということなんだなあ、と。

なにしろ、譜面もすべてが出版されているわけじゃない(というかほとんどされていなかった)から本人の直筆譜かまわりの弟子親族の筆写しか残っていないわけですし、それすらも残っていない記録にしかない失われた譜面(遺産相続とか、その後に売却されたり)もたくさんあるようで。

あとバッハ一族ひとが多すぎる。分類上、親族にみんな番号振られてましてね。我らがセバティアン(みんなバッハなので文中ではセバティアン)は24番でした。

そんなわけで本文中には日常的なエピソードのようなものはほとんど無くて、バッハの人となりとか、どういう思いで曲を、みたいなのは感じ取りにくかったわけで、とはいえ膨大な資料の前にあるたった一冊の本を読んだだけですけれど、その向こうにある広大なバッハの海をちょっとだけ垣間見た気がしました。ある意味これが歴史ロマンということなのかもしれない(知らんけど

愛妻家っていうエピソードをよく耳にする気がするのも、他に人柄的なもの(大勢に影響しない範囲で)が見当たらないからかもしれないですね。ちなみに、前妻との間に7人、後妻との間に13人の子どもができました。

そうそう、メンデルスゾーンさんが、マタイ受難曲を復活上演したことで再評価され、研究が再開されたっていうくらいで、バッハ研究自体も歴史が長くて・・・と書いていたら支離滅裂になってきたので、気になる人は手に取ってみてくださいな、と。

オケではなかなか巡り合わないですけれど、弦楽アンサンブルでは三度目のご対面。今までよりはちょっとだけ近づけた気がするし、またよろしくお願いします、ってことで。

「シューマン (作曲家・人と作品シリーズ)」を読みました

今シーズンの作曲家はこちら。先日芥川さんも読みましたけれど、シューマンはいつものシリーズで。

クラーラ(クララ)とのラブラブ話はなんとなく知っていたものの、もともとはクラーラのほうが有名な音楽家(ピアノ奏者)過ぎて父親から猛反対、結婚するために裁判までしたなんてね、それは大変。あとでちゃんと義父と仲直りできたからよかったけれど。

メンデルスゾーンとかリストとか、そういえばそっちの評伝読んでた時にもシューマン出てきたよねえ、という同時代の作曲家つながりのある中、例の人物はなかなかでてこないなあと思っていたら、終盤にやってきました若きブラームス。ブラームス以外の三人は生まれもほぼ同時期だけれど、ブラームスは20年以上年下だから仕方ないですが。そして、意図していないブラームス vs ワーグナーの構図(これもいろんなところで読んだな)。

精神的な起伏が激しめで、すごい多産の時もあれば、そうでない時も、、、という感じですし、最終的には精神病んじゃって、クラーラにもほとんど会えずにって感じでちょっとつらい最後でした。

作曲家として残っていますが、文才もあった(という親は出版業界)ようでそれで音楽評論とかいっぱい書いて、そうそう↑のブラームスの件とかもそうですよね。多く歌曲もそういうところからでているかと思うと、また知らない一面を垣間見たかな、と。

さて、ケルンの大聖堂まだできてなかったんか〜と思いながら、ライン弾きますかね。

そういや、この時代のみなさんのエピソードに出てくるワーグナーさんについてはまだ読んでないなあ。オケでやる機会が、、、ということなんですけれど、そのうちあるかな。

「脳と音楽」を読みました

SNSを流れてきたので気になって手に取ってみました。

で、これこそ私がほしかった本でした、ほんとに。

もともと科学(数学)と音楽の話は結構好きで、こちらとかなにかと参考にしたりすることもあるのですけれど、

そこにさらに脳(音楽の認識者としての人間)を加えて、なぜ人間は音楽を感じるのか、に踏み込んだ一冊となっております。

数学的に音階を組み立てることはもちろんできるのだけれど、ではなぜ全音が今の間隔で、オクターブの音の数を5ではなく7にしたのか、そのあたりも耳の構造から読み解いていろいろ腑に落ちた。

もちろん、すべてが脳内の電気信号に変わることで信号として処理される、といってしまうとそれはそれで味気ないところではありますが、そうはいっても脳の動きはとても複雑なので、さすがに音楽を聴いたことによる感動までは解明できていないといいますか(なんか、ある意味安心)

私ももともと物理を専攻していたので、大学オケ仲間と「音と物理でもっと音楽のことを解明できるんじゃないの」みたいな戯言をいってたなあと(ほんとに言ってただけですが)思いながら、それがいまここにあるのでは、という興奮さめやらぬ感じで読んでました。

音と脳の関係、音階の成り立ち、音楽の成り立ち、なぜ音楽に心動かされるのか、そして最後には音楽とはなにか、言葉と音楽は何が違うのかをケージやリゲティなどの前衛的な作品を引き合いに出しながら締めくくっていて、自分的にはなるほどなあと。ほんと「なるほど」ばかりだった。

とりあえず、音波(空気の振動)と音(音波を耳と脳で処理した結果の感覚)は違うよっていうことだけここに書いておきます。あと、緊張と緩和大事。これはしばらくネタとしてしゃべってそう。

音楽関係者はぜひ読んでみてください。特に理系な人ならはまるのでは。

「名曲の曲名」を読みました

読んだのはちょっと前なんですが、なにしろ発売日前に著者本人(茂木さん)から買いまして、感想は発売日以降にしようかな、っていうことで。

本のタイトル通り、クラシックの楽曲のタイトルに秘められたいろんなお話という感じ。それを通していろんな名曲が紹介されたり、ちょっとしたエピソードがちりばめられていたり。

バッハのBWVって、連番でついてるわけじゃなかったのか、、、というのが実は初耳で、だから自分が目にするのはほぼ1000番台のものばかりだったんですねえ、と。

「展覧会の絵」なども確かに、標題ついてなかったら、なんかちょっと長い組曲だなあ、ってなってたかもですね。ラヴェルが編曲することもなく、埋もれていたかも。。。

文体も茂木さんの軽やかな口調で、ところどころにだじゃれ的なものが良く登場するんですが、それがまた先日指揮をしていただいた際の練習の風景とリンクして(ほんとにこういう感じで話をされていた)、本番直後の余韻反芻にもなりましたw(練習中でいうと練習番号を指定する際の「だいごろうのD」が衝撃的だったのも初回練習までで、その後「カトちゃんのK」「カトちゃんのP」とか「エイリアンのE、、、ってエイリアンはAか・・・」とか、そんな感じでしたしね)

ちなみに、本人から買ったという話で、サインもしてもらいました。「伊藤」だと普通すぎるのでアルファベットの「K」でお願いしました。