譜めくり

 ピアノのコンサートにて譜めくりをしてきました。最初話を聞いた時は、どんな演奏会か知らずに引き受けたんですが、あとで知ってびっくり。仲道郁代&仲道祐子のデュオコンサートではないですか。こんなメジャーなピアニストの演奏会のお手伝いができるというのは楽しみでもあり、かなり緊張してました。なにしろ、譜めくり自体は初めてだったもので。(そうそう、僕は祐子さんの方の担当でした)
 リハーサルから参加させていただきまして、プロのやりとりをかなり身近に感じさせていただきました。だいたい、リハーサルをみる時って、多くはオケで、ほんとに単なる見学であることが多いですが、なにしろ僕もリハに参加している身なんで、そういう意味でもいい経験でした。姉妹(と調律士さんとか)のやりとりを見ながら、やっぱり、プロ(それもある程度メジャーな)ってすごい!と感心するばかり。デュオってだいたいが、かなりお互いのコミュニケーションがちゃんと確立していないと無理だと思うんですが、そのあたりは、さすがに姉妹ですから、問題がなかったようです。アンコールで弾いたドビュッシーの「月の光」なんかは本来はソロの曲であるのを、わざわざデュオに書き直したものだったんですが、ああいう曲って逆に独りで弾いたほうが楽な気がしなくもないわけで、でもそういうところも息が合っていてすごかった。(その他、演奏会の詳しい話は「奏子」にて)
 ざっと2時間弱の演奏会で、最後の最後の曲をのぞいて、全部譜めくりをしていたので、かなり疲れました。本来なら、目をつぶって、ピアノの音だけに耳を傾けたい、というところも、必死で譜面を追い、そしてめくるのです。デュオの譜面だから、普通のピアノの譜面よりも枚数が多くなって、そしてめくる場所もすぐにやって来ます。全然、気が抜けなかった・・・ほんと疲れましたよ。でも、お二人とも満足していただいたみたいだったのでよかったです。演奏会自体も、わずか200席の客席から「ブラボー」がたくさんあがってました。
 帰り道、駅で、演奏会にきていたお客さんに声をかけられ、「譜面を2枚一緒にめくったりすることってないの?」だそうです。まあ、滅多に起こらないんでしょうけどね。汗かいたりするし。ちょっとタイミングが早い時もあったんですが、さすがにそういうのにも慣れているようで、難なく乗り越えておりました。ほんとすごいな。
 ま、そういう感じで、このバイト代も音楽のために消えることでしょう。

1つの偶然

 なのかどうかわからないけど、先日、例の自爆テロからちょうど1年が経ったわけで、そんな話がいろんなメディアでもちきりだったころ、ふと、昔の話を思い出した。正確にいうと、昔書いた話を。内容は稚拙だから(とはいっても、当時は数年がかりで、作り上げた記憶がある。人物構成はあらかじめちゃんと考えたり、書き上げたあとに何度も手を加えて)、さておいて、問題なのは、その出だしだった。1998年1月19日、新宿の都庁が瓦礫と化す。なんか、話としてはよく似ているかも、と思い出したのだ。かたや現実の話なだけに、本来はこういうことを書くこともはばかれるべきなのかもしれないけれど。
 僕の話の場合は、飛行機が突っ込んだわけでもなく、単なる爆破にあたる。しかも自爆・・・ただ、これはテロではなくて、いわば宗教的・儀礼的なものだった。いや、象徴的というべきか。誰も得をしなかったろうし、単に、「破壊」その物の行為が重要だった、と記憶している。というか、読み返してみると、そういうことになっているようだ。
 読み返して、さらにびっくりしたことに、事件の捜査をしている警察の言葉にこういうのがあった。「そうですね・・・アメリカでだってこんな爆破はないっていうのに・・・一体なんのために・・・」う〜ん、ちょっとぞくっときた。単なる偶然だけれども、でも、こういうことがあると、なんだか、不思議な気分だ。こういう偶然の出来事って、自分には関係のないことだと思っていたし、多分これからもそうだろうけども、この一件はそういった流れとはちょっと違ったとこにあるものなのかもしれない、と。
 それだけでおわらず、この話は、最初の事件からちょうど3年後の同じ日に終末をむかえる。今度は手始めに日本の国会議事堂が跡形もなく消え去って・・・(結局は、地球上の生命がほぼ絶滅してしまうんですけどね)
 実は、自分もURLすら忘れてしまったけど、この話は公開されている。検索すれば出てくるので、まあ、現存しているのはたしかみたいです。でも、もう消します。なんとか記憶の片隅に残っていたアカウントでログインできるみたいだったので。ひょっとしたら、またいつか、どこかで復活しているかもしれない。でも、多分ないでしょうね。だって、もう、文章を書かなくなってからかなりの年月が経ってしまったから・・・

気分

 今朝目が覚めると10時前でした。これは僕にとっては非常に珍しいことだったけども、でも全然驚きはしなかった。というのも、ある意味予定通りだったから。昨晩、なんとなくそういう気分になって、目覚ましを止めたわけでした。最近なんとなしに寝不足で(といってももちろん自業自得)それを一気に解消させようとか、そういうのが目的だったので、そういう意味ではある程度は成功だったかな、と。
 ついでに、午前中はのんびりしてました。昼ご飯を家で食べて、さて、と、府立図書館に向かうことにしました。先週末に借りた本はすでに全部読んでしまったし、週末のためにもなにかしら本を用意しておく必要があるな、とか、雨が降りそうだから早いうちに本を返しておかないといけないな、とかそういう理由で図書館に向かいました。
 しかしながら、月曜でもなく、祝日の翌日でも、月末でも、月初めでもなかったのに、図書館は閉まってました。おいおい。第4木曜日は閉館ですか・・・これはやられた・・・家を出る時の勢いなんてどこにもなく、とぼとぼと本だけを返却口からほおりこんで、立ち去るしかありませんでした。あ〜あ。
 そうそう、気分っていえば、今日公開したソフト「月読君」もいわば気分で一気に作ったもの。既存のソースの継ぎはぎとはいえ、ほとんど今日一日で作ってしまったしなあ・・・よく勢いが持ったものです。
 遊佐未森を新規入手して嬉しい今日この頃でした。そういや、この秋初めて長袖着たな。

録音

 まあ、ほんとだったら、ベーシストモドキの方に書いているような内容ですけども、なんとなしにこちらに書いておきましょう。
 先日オークションで購入しました録音のできるMDウォークマン、購入の目的を果たすべく、自分のソロをちょっと録音してみました。個人練をしていまして、その最後にちょっとだけ、個室で。だいたい、ベースを弾きだして今年でもう9年目になるとか、そういう感じなんですが、自分の音をなにかしら録音などしてみるのは、半年前くらいの発表会が初めてだったりするわけですが、まあ、そんなこともありつつ、やっぱり上達するためには、自分の音を、客観的に、こまめにチェックする必要があるかなあ、とか思ったりする今日この頃だったので、それを実行に移したのでした。
 とはいっても、本格的に「録音するぞ~」という感じではなくて、ただ単に、練習しているところを音に録っているだけ。それをあとでチェックするわけですね。もちろん、弾きながらでもいろいろと気づくことは多いわけですが、それには限度っていうものがありまして(なにしろ主体はあくまで演奏そのものであって、演奏のチェックではないから)、だから、そういう気がつかなかったことを、鮮明に伝えてくれるので結構いい感じです。

 ただ、録音を聴いてみた感想としては、思っていたよりひどくないんですよね。いっつも弾きながら、こんなの全然話にもならんような音しかしてないんだろうなあ、とか思っていたんですが、意外にもそこまではひどくなかったらしい。ある意味励みになりました。でも、ひどいところはとことんひどい。思っていたよりひどい、というのも多々ありました。そういうところを、ほんとに淡々と語ってくれるので、録音というのもなかなか利用価値がありそうです。
 今まで、効率のいい練習、をいつも目指しているんですが、この録音という手段の導入によって、さらなる向上が見られそうな気がして楽しみです。はたしてどうなりますことやら。

CD屋さんの誘惑

 CD屋さんに行く時って、2種類ある。純粋に目的があってCDを探している時と、単なる暇つぶし。で、前者の場合でも、目的のCD(というか、作曲家、演奏者などの組み合わせ)や、予算などと相談しながらだから実際には結構大変。
 今日は、前者の場合でした。でも、よくあることながら(僕だけかも知れないけど)本命には出会わないことが多い。そんな時でも、だいたいは、「あ、そういえば、こういうの欲しいって、以前思ってたなあ」というような、次点の候補があったりします。ただ、CD屋で一番怖いのは、そういうんじゃなくて、まったく予想もしていなかったような、掘り出し物や、新譜に出会う時。その誘惑には幾度となく立ち向かって、勝ったり負けたり。。。今日もそんな感じ。
 取りあえず、本命はありませんでした。まあ、それはいいとして、次点としては、アーノンクール&W.C.Mのヘンデル。これはこの間、大フィルのヘンデルを聴いた時に、そういえば、って思っていたもの。たしかに、お目当てのものはあったけども、インパクトにかけていたので、いったん保留。
 そして、問題なのが、その後、ぶらぶらしていて見つけてしまった特価コーナーのCD達。・アシュケナージのショパンピアノ全集(輸入盤正規の値段からしても3〜4割引だったけど、そもそも所持金的にも無理。でも欲しい・・・)・ズッカーマン&デュプレ&バレンボイムのベートーヴェン
 ピアノトリオとか、Vn、Vcソナタとか(9枚組でこの値段とは!だったけども、予算的には微妙・・・)・昔の巨匠によるショパン(ホロヴィッツ・ルービンシュタイン・コルトーによるショパン。各人1枚ずつの3枚組なのに、廉価版1枚並のお値段)というわけで、3番目のを買うことにしました。それでも、かなり迷った。特にベートーヴェンは。今度いく時までに、売り切れていなければいいけど・・・
 しかし、それだけでは終わらなかったのです。CDを手に取って、レジにもっていくまでに、最後の難関が待っていました。大好きなベーシスト、メイヤーの新譜が登場していたのです。今までは、カントリーとか、バッハの無伴奏とかだったんですが、今回は、いわばベースの王道、ボッテジーニの協奏曲とかをおりまぜた1枚になっているようで・・・その場に立ち尽くすこと数分。かなり迷いましたよ。(予算的には、微妙なんで)でも、国内盤のCDだったら、生協で注文したほうが安く手に入る、ということだけを何度も自分に言い聞かせて、なんとかその場を立ち去ることができました。(今からでも、早速注文しますか)
 いやあ、ほんと、CD屋さんに行くのは恐ろしい。というか、人間の物欲って怖いですね。いくらでも、買いたくなってしまう。
 買ったCDには満足ですよ。いっつもショパンはアシュケナージ多かったから、新鮮です。

三連休第2段

 終了ですね。今回も、若干京都を離れていたわけですが、前回とは違って非常にのんびりした一時を過ごさせていただきました。連休の最後は、コントラバスの演奏会でしめて(モドキ参照)、明日から、また忙しい日々ですが。(といいつつ、明日はいきなり飲み会だったりもしますが)
 にしても、いきなり寒いですね。涼しいをもう通り越しているような気がしてならない。こっちにきてから2年目なんで、去年の暑さが異常だったのか、今がいきなり涼しくなりすぎているのか、そのあたりのことはよくわからんですけども、まあ、どっちにせよ、今年の方が過ごしやすいのは間違いが無く、こういう日々がしばらく続いて欲しいものですね。また、京都観光をいろいろしておきたいものですし。(カメラのメモリカードをさらにパワーアップさせて、さらなる高画質をねらいます)

 今日は、荷物背負って、梅田をぶらぶら歩き回ったので、結構疲れました。演奏会は滋賀の方だったし、大阪→滋賀→京都っていうなんともいえない移動のしかただったんでね。そんなわけで、このへんで。

 あ、そういや、秋分か・・・

急性活字中毒

 活字中毒なんていう言葉あるとすれば(というか、あると思っているけど)今の僕の状態はまさに急性の活字中毒だ。それは突然やってきた。なんでだかわからなけれども。何度か書いたような気はするけれど、少なくとも高校時代までは、かなりの量の本を読んでいた。それも専門書ではない、普通の小説を。ミステリー・ファンタジー・SFといった具合に。純文にはほとんど手を出さなかったように思う。でも、なんでだか、大学に入ったころからそれはぱったりと止んでしまって、思い出したかのように、たまに、ほんとにごくたまに読むだけになってしまった。
 なのに、ここ数日の状況はそれまでから一変している。その前兆は暫らく前からあった。そう、江戸川乱歩を「もう飽きた」と思うまで読んでいた(全30巻弱の全集のうち10冊くらいを読んだ)ころから。ためしに、ここ1週間くらいに読んだ作品を思い出してみよう。はっきりいって、作家は二人だけ。・栗本薫:仮面舞踏会(伊集院大介の帰還)/僕らの時代/僕らの気持ち
・村上春樹:海辺のカフカ/風の歌を聴け/1973年のピンボール/その他短編諸々10作品程度冊数にすれば、ざっと7~8冊分くらい。1日1冊のペースである。別に1日に1冊読もうと思っているわけではなくて、読み終えたときに、隣に別の本があれば、すぐにそれを手にしている。研究室で研究をし、楽器の練習もし、ソフトのバグも直すし、HPも更新する。そんな合間はすべて本を読んでいる。電車での移動中も居眠りすることなく。これを中毒といわずして、なんといおう。

 これがいつまで続くのか、予想はつかない。といえばちょっと嘘で、多分、終着点は見えている。栗本薫の伊集院大介シリーズを全部読み、村上春樹の小説を思いつく限り読む。それと、彼ら二人の作品に飽きるのと、どっちが先か、という問題だろうな、と思う。と、簡単に書くけど、これはご存知のように結構な量です。伊集院大介って言っても、天狼星だけで10冊くらいあったように記憶しているし、ねじまき鳥をもう1回読むのはかなり骨が折れるような気がする。でも、今は、ただ、読みたいという衝動にすべてを任せているだけ・・・月並みにいうと、面白くてやめられない、というところですかね。

 ちなみに今日は、大阪の方に出張サポート中。パソコンのメモリ増設やらで。

再会

 お久しぶりですね。1年ぶりですか。といっても、去年は10月の頭だったから、ちょっと違うけど。(といっても10日くらいしか違わないけど)
 いやいや、そんなことはどうでもよくて、今日貴女にあえてよかったです。なにが違うの?っていわれれば、もちろん貴女はなんの変わりもない。何年間も、何億年間も、ほとんどなにも変わることなく、貴女はそこにいつづけてきたんだろうし、多分これからもずっとそうなんでしょう。だということは、つまりは、違うのは、貴女を見上げている僕の方。(そして、同じように貴女を見上げている人々みんな)勝手に、今日が特別な日だと思ってしまっているんですけども、でも、それはあながち変なことじゃない。
 あいにく、というか、少なくとも今は、薄い雲のスクリーンがかかっているから、ぼやけてしまった貴女しか見られないけれども、それでも、たまに切れ間から輝く光を降り注ぎになる時は、僕はただ立ち尽くすだけ。
 円でなければいつでもそんなに違わないけども、円であるのと、そうでないのはかなりの差がある。もちろん円でないのも好きですが、円であるその一時はほんとに幸せです。その一時の時間を共有できたことが。

 静かに、ネットラジオからはJazz調(あるいは南米調)の曲が延々と流れていて、本を片手に読みながら、ちょこっとお酒も口に付けてみたり。そうしながらも、ちらちらと窓の外から、空を見上げてしまいます。できることなら、貴女が地平線から見えなくなるまで、窓から空を見ていたい、と思いつつも。多分それは叶わないような気がしますが。
 

 というところで、お月見第一段(独りで静かにお月見編)終了みたいです。今から、第二段がはじまるみたいなんで、ちょっと出かけて来ますか。

彼岸

 市販のカレンダーを見ると今日は「彼岸」と書いてある。正確にいえば、今日は「彼岸の入り」になるけれど。「彼岸の入り」というふうに始まりの日があるっていうことは、終わりの日があるかっていうと、ちゃんとあって、それは「彼岸の明け」というらしい。それはちなみに、9月26日になります。「彼岸」っていうのは「土用」とかと同じで、期間をあらわしてまして、そこが、たとえば「秋分」や「満月」のように瞬間をあらわしているものとは違う。(ちなみに、「秋分」は太陽の黄径が180°になった瞬間、「満月」は太陽と月の黄径差が180°になった瞬間をさす)まあ、そこら辺はうまくできていて、だから、暦では「秋分の日」というふうに、「秋分」の瞬間を含む日という呼び方をしているわけです。多分。
 さて、では「彼岸」はどういう決まりになっていますかといいますと、「彼岸の入り」から「彼岸の明け」までの7日間のことを「彼岸」と呼ぶようです。で、「彼岸の入り」はどうやって決まっているかといえば、「秋分」(「春分」でもいい)を含む日を真ん中においての前後3日間を「彼岸」といいます。なんで合計7日間。今年の「秋分の日」は23日なので、その前3日の今日から、後3日の26日までが「彼岸」ということになります。いやあ、勉強になりますねえ。。。って、役にも立たない暦に関する雑学でした。

 さて、今日はさらに「小望月」です。ようするに旧暦で14日の月のことですけども。旧暦の1月はだいたい30日なんですが、月の満ち欠けは30日よりちょっとだけ短い周期でまわっているので、日付と月齢が一致しないことはしばしばです。今年は、明日の「中秋の名月」の夜(つまり旧暦8月15日の夜)と「満月」の瞬間を含む夜、というのは同じなんですが、去年は一日ずれてまして、ま、そのせいで2日間、月を楽しませていただきましたけど。
 今日の月は薄雲のおかげでまわりに虹を従えてます。そんな感じで、明日が楽しみですね。

独り言

 ちょっと遅くなってしまったけど、ほんとは、普段これを書いているような時間に、パソコンの前にいた。でも、書く気にはならなかった。別に書くことがなかったわけじゃなくて。書きたいことがあったがために。
 ここ数日、今日も含めて、お気づきの人もいるかもしれないけど、とりあえず「独り言」の文体はなにやら微妙に変なことになっている模様。理由は多分簡単。本を読んでいるから。村上春樹の最新作「海辺のカフカ」を。そして、先ほど読み終えた。だから、読み終わるまでは、「独り言」を書く気にはならなかった。
 感想?愚問かな。でもいうなれば、『ことばで説明しても正しく伝わらないものは、まったく説明しないのがいちばんいい』ということだろうか。(といいつつも文章にはする。これは一つの記録・記憶だから。webでつながっているみんなにとってというわけではなくて、自分にとっての)あれがなんだったのか、といえば、いいようのない気持ちになるし、今の僕を的確に描写するなら、飽和(あるいは空虚)、だとでもいうのだろうか。そして、これを読むのが、今でよかった、とそれが正直な感想。いいことなのか、悪いことなのかわからないけど、飽和(あるいは空虚)な自分から、普段の自分に戻ってくるのに、最近はそれほど時間がかからなくなったから。明日、朝、目が覚めれば、普通の生活が待っているし、余韻に浸っている時間はそんなにない。それは、多分、今の僕にとってはいいこと。だといい。
 「強さ」について、むかしよく考えたなあ、とかちょっと物思いにふけったり。なんだったか、『強い自分自身を自分の手で葬ることのできる強さ』そんな「強さ」ないからこうやって生きているだ、と。
 また、しばらく時間をおいて、何度でも読み返すことでしょう。もっと一つ一つの出来事を、一人一人の人間を、ゆっくり噛みしめなければならないな、って。

 芸術の秋なんていって、実は、今日は演奏会を聴きに行ったりもしているけど、それはまた別のお話。電車から降りて階段を上り地上に出てきた時、自転車を止めて神社の坂道をあるいて登る時、目の前にはやっぱり月が浮かんでいて、明後日をいっそう待ち遠しくさせる。それが、今日の全て。