間違い留守電

 昼間、珍しく携帯電話が鳴りました。(携帯といってもほんとはPHSだとか、そういう細かい話はなかったことにして)たいてい用がある時って、今どきはメールですむから、電話そのものが呼び出しをすることって珍しいんですよね。それも昼間だから。なにかなと思って発信者の番号を見て見ると、、、093ではじまってる。これって北九州市のことですが、ますます心当たりはない。ほとんどない。まあ、知り合いがいないわけじゃないけど、まさかそんなはずもないし、と、非通知じゃなかっただけ、にそこまで変な電話じゃないだろうと、とりあえず人様に迷惑にならないところに行って電話を受けることにしました。
 いきなり、知らないおばちゃんが、これまた知らない人の名前を呼んでいる。しかも向こうは結構慌てている、というか時分のリズムで電話してるんでなんのことやらよくわからず。その上、「あ、あー!すいません」といっていきなり切るし。おいおい。僕は「もしもし伊藤です」くらいしかしゃべってないんですけどね。その間に何度も「○○さん?」を連呼していたし・・・ま、ありがちな話だなと思って、そのままほっておくことにしました。
 しばらくして、今度は気がつかなかったのだけども、着信があった模様。就活の頃からマナーモードの有無に関わらずいつも留守電を作動させているので、一定時間呼び出し続けると留守電にかわるんですが、どうやら、その録音のメモリいっぱいになにかしら伝言が入っているみたい。しかも、発信者の番号はさっきと同じやし・・・おいおい。一応、聞いてみる。やっぱりさっきと同じおばちゃんが、さっきと同じように、知らない名前の人に話しかけている。もちろん僕へ、じゃない。
 全部聞くこともせずに、抹消。だって、他になんかあったら、もう伝言とっておけないし。さっきの人はなんだったんだろう・・・と、思いつつも、あ、これは今日の「独り言」だな、とか。あの伝言は結局どこにも到達しないまま・・・僕も気を付けないとね。知らない人の電話に伝言を残してもしかない。

 そんなこんなで今日は「寒露」。もう秋真っ直中。

相性

 相性っていうのは、どんな世界にでも、どういう状況でも、あるものだっていうのはわかってはいるものの、時に「そんなのあり?」と思わずにはいられないようなことだったあったりするわけです。この場合は、「そんなの『相性』って言葉で片づけてよいのか?」という意味合いを強く含んでいるのは自明なのですが・・・
 いわば、アナログな世界だった、そういう曖昧さも全然構わないんですけどね。むしろ、その曖昧さがアナログたるゆえんなのだから。ちょっと違うか。まあ、それはここでは問題ではないので、さておいて。デジタルの世界でももちろんありますよ。パソコンとかの間でも。でも、でもですね、それってあんまりじゃないか、と思ったりするわけです。まあ、聞いてください。
 とあるパソコン屋さんにオーダーメイドパソコンを注文しました。いわゆる、お店ブランドみたいなもんで、大手のメーカー品とは違って自由に、しかもかなりお安く、好みのスペックのパソコンが手に入るわけなんですが、で、やって来たそのパソコンは省スペースパソコンという部類に入るものでデスクトップだけども結構頑張って小さい体の中にいろんなものを詰め込んでいるやつになっておりました。モニタは別途こちらで用意。といっても省スペースパソコンを使うくらいだから、もちろん液晶です。ここでCRTなんか使っても意味ないしね。で、いろいろインストールしてみると、なんだか目が異常に疲れる。理由は簡単に分かりました。画面がちらついているんですよ。かなり。いろいろいじってみても、全然改善されそうにないし、そこらにあるいろんな液晶モニタにつなぎ換えてもちらつきはおさまりはしない。なんで、結局、いったん調査ってことでお店に引き取りにきてもらいました。んで、2週間くらいたって戻ってきたら、、、なんとまあ、CRTだったらちゃんと映るけど、液晶なら全滅だとか・・・そんなのってありですか?省スペースパソコンなのに。省スペースパソコン使うなら液晶モニタでしょ?と思いつつも、まあ、戻ってきたんだからと再びたちあげる・・・
 そして、それだけでは終わりませんでした。今度は、ぼやけてます。ピントが合ってない・・・てゆーか、パソコンのモニタでピントが合ってないってどういうことよ!そんなのどこでも設定できませんがな!相性の問題とか、そういうのじゃ全然片付かないけども、だけども、相性が悪いのねえ、とか思ってしまったり。しかし、そもそも相性悪いって、そんなことがあっていいはずもないのに・・・(メジャーなマザーボード、メジャーなグラフィックカードとメジャーな液晶モニタの間に相性の問題って・・・)という感じで、なんとも徒労を感じざるをえない夕方の一時でした。明日また引き取りに来てもらうそうな。

建仁寺

 予定通り、というかそんな感じで、建仁寺に行ってきました。というのも、今年が開創800年とかいうので、京都やら福岡でも建仁寺展を開いて美術品やらを公開していたこともあり、それを見に行ったこともあり、それまではどこにあるのかも知らなかったけど、これがまた意外に近場だったので、久しぶりに京都観光でした。ネットで調べたら、ちょうどその800年の記念にと、法堂の天井に描かれた「双龍図」を公開しだしたところだったみたいで、まあ、それが一番のねらいですかね。
 敷地としてはあまりに広くて、しかも隣が競馬場?だったりとよくわからんところではあったんですが、とにかく目的は、その法堂やら、いわゆる拝観料を払わないと見られないところにあったので、あまりぶらぶらと出歩くこともなしに、拝観させていただくことにしました。。。とここら辺のことは、写真館にものってるので、やや略。
 茶室とか、庭とかを一通り見回ったあと(なんの迫力のかけらもない「風神雷神図」の偽物もありました)に、メインディッシュの法堂へと向かいました。ほとんど朝一で来たこともありまして、心配したほどに観光客も多くなく、いつもの喧騒から完全に離れて、そしてちょっと蒸し暑かったのも忘れて、落ち着いた雰囲気を堪能してました。そして、法堂の中に一歩足を踏み入れた僕は、思わず(というかそれはある意味では予想通りだったけども)その場で立ち尽くして、ただ呆然と天井を見つめていました。でかすぎる。そう、でかすぎる。西洋でいえば、教会絵画ってやつですよね。ステンドグラスとかで天井いっぱいにキリストとかの絵が描いてあるような。そんな感じでした。そして、生でそういうのを見たのは初めてだったから、ほんとにただそこに立ち尽くすだけ。。。しばらくしてから、とりあえず、法堂の中の他のものもざっと見回して、そして、ぶらぶらあるきつつ、いろんな場所で上を見上げました。ちょうど、床にはカーペットのひいてある部分もあって、ようするに腰を下ろしたり、寝ころんだりしてその龍を見上げることができるようになっていたので、最終的には、その真ん中に腰を下ろして、真ん中から、龍と対面することにしたのです。顔を上げて、龍を見て、目を閉じて、ちょっと物思いにふけって、そしてまた顔を上げて・・・ということを何度も何度も繰り返して、しばらくそこでぼおーっとしてました。でも、それも長くは続けられず、観光タクシーの一団がやって来て、運ちゃんが説明をはじめたり、他にも団体さんがどやどやとやって来そうな雰囲気だったので、この静けさをぶち壊されないうちに、と退散することにしました。
 法堂をでると、ちょうど、団体様ご到着みたいだったし、いろんな家族連れがやって来たり、と混雑モードの突入の感じで、結構タイミング的にはよかったようです。静かにできましたから。で、思ったこと。禅(というより坐禅か)、ってやっぱり一度は体験してみたいですね、と。

読書の日

 行楽日和、という言葉が盛んにラジオから聞こえてくるので、というかもちろんそれだけではないけれど、昼頃に家を出ました。図書館に本を返して(2日前に読み終わった、と書いてたやつ)新しいのを借りる予定だったし、あとはぶらぶら、とか。でも、確かにいい天気だったから、それだったら、お昼はコンビニで買うなりして、本を借りたら、公園の木陰でゆっくり読むのもいいかもしれない、とかそういうことを思い付いたんで、実践することにしました。
 確かにいい天気だったんですけどね。でも、暑かった。30度は超えなかったものの、かなりそれに近いくらいに気温も上がっていたし。そんな中、汗ばみながらも図書館に向かって、まずは返却。で、本を検索して書庫から(ほとんどの本は書庫に入っているので、いちいちとりだしてもらわないと行けない。のが結構面倒)とりだしてもらう。なんで、そう思ったのかはよくわからないけども、また4冊も借りることにしてしまい、しかも前回と違って全てハードカバー(この間は半分は単行本だった)なもんだからかなりの量に。かばんに入れるとかなり重かった。
 で、予定通り、いつもならちょっとくらい図書館の中で読んでいったりするところを、外にでて、公園のベンチに腰掛け、パンと飲み物を片手に早速読みふける・・・なんですけど、あんまり長続きしなかった。大きな原因は蚊。気温は高いし、公園なもんだから、それなりに蚊が周りを飛び回っていて。うーん、これはこれは・・・という感じで、1時間ちょっとくらいで結局退散。その後もぶらぶらしながら、どっかで再開しようかな、と思っていたけど、なにしろ暑かったし。もっと秋らしい天気ならよかったんですけどね。残暑って感じだったし、かばんは重いし(これは明らかに自業自得)、というので、そういう気分でもなくなって、結局家でのんびり続きを読みふけっておりました。
 明日は、天気下り坂みたいだけども、午前中は今度こそ荷物少なくのんびりぶらぶらしたいもんです。

独り言

 夜の道路は結構危ない。いや、そんなことはわかっていたんですけどね。それに、車の免許をもってから(といってももう5年も前だけど)、それなりに車側の気持ちも分かるようになったし、予測もできるようにはなったはずなんですよ。多分。
 自転車をこいでて、目の前に信号がありました。渡ろうとする信号が。で、僕の右側にはタクシーが走ってました。そのタクシーは左側にウィンカーを付けていたので、つまりは左折する模様。このままだと当然僕とはぶつかってしまいます。とは言っても、もちろん相手も僕に気づいているだろうし、そこら辺は微妙なかねあいがあったりするわけです。たいていは、とりあえず、僕の方が譲る意志を見せるような時が多いんですが、まあ、車と歩行者(あるいは自転車でも)だったら、歩行者の方が優先なんで、結局僕が先にその横断歩道を渡ることになるのがほとんど。そういうわけで、今回はどうかな、と様子を見ながら並走していると、ちょうど目の前の信号も青になりまして、そして若干隣のタクシーは速度を落とした感じがしました。左折前ですしね。なんで、そのまま渡ってしまえ、と、そういう感じになって、ちょっとタクシーが曲がりかけても少しよけたらいいし、と思って横断歩道に踏み込んだのですが、なんと目の前の信号は青になったのに、それに気づかずか、あるいは渡るつもりで結局ぎりぎりであきらめたのか、もう1台のタクシーがきれいに横断歩道の上に止まってました。おいおい!そして、案の定、並走していたタクシーの方は若干左折をはじめたので、僕は左によけかけたのはいいのですが、目の前もしっかりとふさがれているためにそのまま弧を描いてもとの歩道に戻る羽目になってしまいました。なんともいえない瞬間。左折しかけたタクシーもなんだかどうしてよいやら分からない感じだった(僕がもう一度渡ろうとするかもしれないと思って)のですが、結局面倒くさくなった僕はそのまま単に左折しただけで、次の信号で渡ろうと先に進んでしまったんですよ。(うーむ。文章で情景を表すのは難しいものですね。多分、これを読んでもそんな状況だったか想像できないような気がする・・・)
 なんだかな。と思った瞬間でした。だいたい、歩行者もほとんどいなければ、車もほとんど通ってないけども、横断歩道の真上に停止するのはどうかと思いますよ>タクシーさん。

続・活字中毒

 確か10日前くらいの「独り言」にも書いてましたけども、急性活字中毒続行中です。思うに、さらに重度に進行している気がしなくもない。前は、空いている時間は欠かさず本を読む、っていう感じだったのに、ここ数日は時間を空けて本を読んでいる気がしたり。なにしろ、昨日借りた本4冊を、もうすでに読み終わってしまったので、今夜はもう読む本がない・・・とやや禁断症状気味みたいなそんな感じで。
 確実に文章を100%読んでいるか、といわれれば、そういうわけじゃないのはわかっているんですが、なにしろ早く先を読みたいという衝動に駆られて(まあ今は栗本薫のミステリーばかり読んでいるから)怒濤のように読んでしまうんですよね。困ったもんだ。いや、別に困ってはいないか。読んでいるうちは。読み終わったあとは困るけど。手元に次読む本がないから。
 ま、一応、図書館の休館日の書いたカレンダーみたいなのをもらってきたし、これで今まで何度か味わった屈辱(せっかく行ったのに休館日だったとかそんなの)を再び味わうこともないでしょうし、とにかくさっさといって、また次の本を借りないと。なんていうか、よく「じゃ、この章の終わりまで読んだら中断しよう」みたいなことってあると思うんですが、今はそれをさらにパワーアップさせて「このシリーズを全部読んだら中断しよう」みたいなことになってるから、そこに行き着くまでに栗本薫だけでもあと20作品くらい(ちゃんと、発行年代順にリスト作ったし)かな、ということですねえ。
 ちょっと不安だったりするのが、そこにたどり着いたあとって、どうなるんだろう?ということ。今の感じでは、これは結局止まらないような気がしてならない。ある程度減衰はするんだろうけど、0に収束することはなさそうな予感です。どうなりますことやら。

献血日記と初秋刀魚

 ほんと2週間おきに行ってるなあ、としみじみ思ってしまう今日この頃。癖というか習慣というか、行けるのに行かないのはもったいない気がしてならないとか、そういう感じなんですよね。でも、もう歯ブラシはいらないって。今までにすでに3本くらいもらったんですけどね。
 血を抜かれながら、テレビを見ていると、紅茶の話をやってました。正確にいうと、もっと格式ばってアフタヌーンティーというやつだけれども。そういえば、昔は珈琲なんて飲めなくて、だからというわけじゃないけれど、紅茶がメインの飲み物だった時もありました。(どっちかといえば、紅茶をメインにしていたから、別に珈琲を飲もうとは思わなかった、というのが正解か)最近そういえば、まともに家では飲んでない(ちゃんと、ティーバックではなくて、比較的上等な葉っぱがあるのに)なあ、と思いつつも、テレビを見ていると、ずいぶんと飲みたくなってきた。朝はやっぱり珈琲にかぎるけど、休みの日の昼過ぎは紅茶もいいですね。秋だし。ゆっくり本でも読みながら、昼下がりに一杯の紅茶。うーん、いい感じだ。せっかくだから、小さなポットとかあるといいんだけど、1人用のポットとかあるのかなあ・・・

 夕飯は何にしようと、スーパーに寄り、鳥肉が安かったから親子丼、なんて献立に決めつつレジに向かっていると・・・うーむ。魚売り場にばら売りの生秋刀魚が。。。しばらく、そこに立ち止まって、結局「すいません秋刀魚ください」という感じで、今年初の秋刀魚。そういや、まだ学食ではお目にかかっていないような。気づかなかっただけか?
 去年はトースターで焼く、簡単な方法をとってみたけど、今回はちゃんとガスコンロのグリルで焼きました。初めてだったので、どうなることやら、と思っていたけど、なんのことはない。なんの問題もなかった。めっちゃうまかった。この調子だと、今年は何回も食べることになりそう。今度は今日買い忘れた大根とかもちゃんとそろえて、と。(ちなみに今日は、純粋に秋刀魚の塩焼き、でなんにも薬味系はつけませんでしたから)

久しぶりに雨男

 今日は久しぶりに雨男っぷりを発揮したかも。でも、水不足はちょっとは解消されたのかな。
 10月1日といえば、多分どこでも内定式だろうと思うわけなんですが、そんなわけなのに、朝起きたら(というか、寝ている時からすでに)かなり雨が降っておられる。なんとなしに嫌な気分ですよねえ。そうはいえども、どうしようもないので、傘をもって家を・・・って、あれ?傘は?。。。玄関にいつも置いていた傘が定位置にない。定位置にないっていうことはおそらくこの家の中にはない。そしてまったく心当たりもない。なにしろ、雨なんてなかなか降らないもんだから、前回傘を使ったのって・・・と記憶をたどっている場合でもなく、仕方なく折り畳み傘で我慢することにする。でも、半径にして多分20cmくらい小さくなっていると思われるから、結構濡れるんですよねえ・・・でも思い出せないし。どっかにおいてきたってことだろうか。練習場になかったら、多分そういうことでしょう。明日行ってみましょう。
 今日からちょうど大学は授業が始まることもあって、ちょうど、タイミング悪く、1限の授業開始直前に駆け込んでくる学生さん達にもまれながら駅に向かったり。しかも、実はそれだけじゃなくて、帰りもそうだった。4限直後にどわどわ〜と出てくる学生さん達にもまれながら帰宅しました。どこに行くのも大学の前を通らないといけないというのも考えものだ。いつも思うことだけど。
 ちなみに言うと、家に帰り着いて、少ししたら、すっかり雨は上がったり。きれいな夕焼けはみられたり。それはそれでよかったけども、でもやっぱり雨男っぷりを発揮したんだなあ、と思わずにはいられなかったり。
 まあ、そんな感じで、今日から10月。カレンダーをめくって破いたら、思わず10月分まで破いたりとか、そんなことは決してありませぬ。

パン屋のおやじ

 なんだか、リクエストもあるみたいだったり、そんな話もあるようなので、書いておくことにしましょう。とか、そういう感じですかね。でも、毎回行くたびに書いていたら、それこそ5日おきにこのネタを書くことになるわけだ、と思ったけども、いつもなにかがあるわけじゃないからいいのか。という結論に至ったので、まあ、細かいことは気にせず。この変な前置きも気にせず。
 パン屋に行きました。学校帰り、練習帰りに。練習場が個人練に使えなくなるのが18時頃でパン屋さんで割引サービスが始まるのが18時からなんで、結構ちょうどいいんですよね。なんにしても安くなるのはいいことです。安くておいしいんだから、ほんと問題なし。
 今日は、18時をちょっと回ったくらいだったから、おやじさんは珍しく(笑)普通に店内にいて、パンの並んだ棚を整理してました。で、僕はいつものように、食パンの棚の前に立って、「今日は何にしよう・・・安くなっているからといってちょっと高めのに手を出すか、それとも、やっぱり安いのにしてさらにけちるか・・・」なんてことを考えていたら、うしろからおやじさんひとこと。「おすすめは、その食パンと、カボチャやで」と普通の食パンとカボチャ食パンを指さします。なんでかよくわからないけど、おやじさんの「おすすめ」の言葉に反応してちょっと笑みをもらすと、「いやいや、今切り立てなんやって。さわってみい。やわらかいから」というので、そのパンを指で押してみると、たしかにそう。弾力ありますし。かなり。
 というわけで、カボチャ食パンを手にレジに向かう。「じゃ、これに。カボチャ好きだし」「これなあ、やっぱり値段の設定間違ってるよなあ」とおやじさん。確かにそうなんですよね。カボチャやら、紫イモ、くるみ、にんじん、とかいろいろある(全部で何種類あるのかはよくわからないけど、10数種類以上はある)中で、なぜだからカボチャだけ飛び抜けて低価格。ぶっちゃけ、普通の食パンとそんなにかわらないんですよ。そういう意味もありつつ、僕はよく買いますけどね。好きだし。「人気があるのは嬉しいんやけど、なんか売れるたびに複雑な気分やわ〜。今さら変えられんしなあ」ごもっともで。僕はお金を払いながらうなずき、笑わずにはいられず。で、いつものように「まいどー。おーきに」「ありがとーございましたー」と店をでた。
 パン屋の帰りによく思うこと。ここに通えるのも、あと数ヶ月だけども、そのあとにこんなパン屋さんに出会うことができるんだろうかなあ、と。
 ちなみに、普段は朝しか食べないんですが、特に献立考えてなかったし、せっかく柔らかいうちに買ってきたので、夕食で早速食べてみました。カボチャ食パン。久しぶりに焼かないままで。めっちゃうまかった〜

 9月ももうおしまい。なんか早かったなあ。

アラン・ケイ博士講演

 アラン・ケイという人をご存知でしょうか?実は、今のこの情報社会には欠くことのできない人、だと思うわけで、というか、そもそもがこの人を発端にしているともいえるでしょうね。というのも、「パーソナルコンピュータ」の概念を初めて提案した人であり、「オブジェクト指向言語」の開発に携わった人だからです。そして、僕みたいなMac人間にしてみれば、彼のその発想をみたジョブスがAppleからMacを誕生させたのは結構有名な話。でもって、そのオブジェクト指向の話ですが、以前は「smalltalk」という名で開発しており、いまは「Squeak」というんですが、こういった流れから今のVisual C++だとかが生まれたり、僕に身近なところではMacの「HyperTalk」が生まれたというわけなんですよね。(そういや、「HyperTalk」に出会ったのはちょうど小学生の頃でしたね)
 そんな感じで、アランケイプロジェクト、という、まあ、本来は教育のプロジェクトなんですが、その発足記念講演があって、アラン・ケイ博士本人の講演があったので、それを目当てに聞きに行ってきました。今後の教育(それも特に小学生くらいの若い教育)にパソコンを組み込んで・・・(もっとちゃんとした人材を育成しようとか)云々というのがプロジェクトの主旨だったんですが、ちょうどうちの大学の所属する研究科と、市が協力しておこなうプロジェクトなようで、あながち遠い存在でもなかったり。(とはいっても、来年以降は、僕はここの人ではなくなるから関係なんですが)
 博士以外の人の講演もなかなか面白かったのですが、やはりメインイベントは面白かったです。その場で「Squeak」の実演をしていたのですが、僕自身、この「Squeak」に関してはちょっとは予備知識があった(使ったことはないですが、使ってみようと思ってネットで調べたりしたことはあった)のにもかかわらず、その無限の可能性にただ感嘆が漏れるばかり。いやいや、この「Squeak」だけじゃなくて、単にコンピュータの無限の可能性、といってもいいですね。ちなみに「Squeak」は簡単にいえば、(OSには依存しない直感的な操作が可能な)開発環境です。でもそれだけじゃなかった。僕の言葉ではうまく伝えられませんが。ほんとにすごいプログラムです。
 これから、コンピュータに関わっていく身としては、なかなか大事な一時でした。

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