モノづくりを目指したわけ

大学生になったくらいまでは、将来は学者になるもんだと思ってた。「なるもんだと思ってた」という言い回しに不自然さを感じるかもしれません。が、「なりたい」とか「なりたくない」とかそういう次元ではなく、「他の選択肢が全然なかった」あるいは「選択肢があったとしてもそれに全然気付かなかった」「気付こうとさえしなかった」。なので、文字通り「なるもんだと思ってた」わけ。

いきなり本題からはずれてしまったので、軌道修正。ところが、大学院に進む頃になって、どうもそれは現実的じゃないかもしれない、って想いが芽生える。そしていろいろと複雑な心境や環境が絡み合って学者の道ではなく、モノづくりの道を歩くことに。

「なぜモノづくりか」っていえば、多分それはパン屋さんでの経験がそうさせたんだと思う。このホームページがブログになる前の日記を読み起こしてもらえばわかるけれど、1年弱くらいの間パン屋でパンを焼いてた。そのパン屋さんが大学の近くだったこともあって、オケの後輩なんかが「あそこのパンおいしいですよね」なんて声をかけてくれる。自分の作ったものが直接お客さんに届く。エンドユーザに近いモノづくり。この時の経験が原点。

でも、実は、最初はシステム屋さんになるつもりだった。それも院での経験が元。図書室事務のお姉さん方のネットワークを構築したり、セキュリティのメンテをしたり。今思えば「ド素人がなんて大胆なことを」という作業だったなと。物理的なモノではないけれども、仕組みを提供する。でもやっぱりエンドユーザに近いところで。

「大規模な企業向けのシステムよりも普通の市民が日常で利用するシステムが作りたい」と思っていろいろまわっているうちに、「それだったら、原点に立ち返ってモノを作るんだ」って再燃。もちろんソフトウェアは物理的なモノじゃない。だけど、僕が作れるものはそこにしかない気がした。できるだけエンドユーザの近くにいたかったから、システム屋さんじゃなくてエントリユーザ向けのメーカということで今の仕事にたどり着く。

今でもあまり信用してもらえなかったりしますが、Macのプログラムを始めたのは内定がでてから。それこそド素人の書いた、何にもわかっちゃいないプログラムだったけれど、それでも作ったソフトウェアを公開することで、たくさんの人に使ってもらえた。お金なんて取れない。僕は僕の作りたいように作り、ただそれを「もしよかったら、もし既存のソフトに同じような不便さを感じているんだったら使ってみませんか?」と公開しているだけ。さすがに対面ではないけれど、僕とユーザとの間はインターネットがあるだけだから、ある意味今までで一番ユーザに近いモノづくり。

最近状況が変わったな、と思う。システムによっては、かなりエンドユーザに近いものも増えてきたから。ブログだってそう。SNSとかだってそう。いろんな小規模のシステム(サービス)が乱立し、混沌とした中だけれど、ユーザはその中から自分に合ったサービスを選択し、その恩恵を受ける。

なにもダウンロードしてインストールする必要があるものばかりが目指すモノじゃないかもしれない。そう思った初夏のとある日。(って何が言いたいんだか全然わからない文章になってしまった・・・)

終わり亡き夏の闘い

完全にシーズン突入ですね。(って、表題の「終わり亡き」は「夏」ではなく「闘い」にかかってます)

なにかっていうまあ「蚊」ですな。要するに。ブンブンと寝ている頭上を飛び回ってます。で、寝ぼけながらもそれを振り払ったりしているんですが、今日はちょっと様子が違った。違ったっていうか、どうも顔を刺されたらしい、、、と寝ぼけながらに違和感を感じていたわけです。鼻?口?ちょっと前みたいに瞼か?寝ぼけているからよくわからないけれど、とにかくどっか刺されてる。。。

で、結局目覚ましでおきて、早速鏡をのぞいてみる。。。って、口かい!めっちゃ唇腫れてるし。。。プッ。。。自分でもおかしくて吹き出してしまった。とはいえどうしようもないのでとりあえず朝の用事を普通通りこなします。しかしこれはちょっと面白すぎるので、マスクでもしていこうかなあ、、、とか思いつつ。

そんな話を相方さんとしていたら(もちろん最初は相方さんも思いっきり吹き出してました)、どうやら腫れはそこそこひいてきているらしく、もう一度鏡に向かうと確かに朝一の吹き出して当然という顔ではなく、ちょっと腫れてる?くらいになってました。なので、そのまま出社することに。いやー、人体って素晴らしい。

にしても、蚊、ゆるさん!

家でも会社でもないところでプログラミング

ある意味、学生が休みの日に図書館に行くようなものです。

学生の時も今も変わらず、基本的には作業(学生時代なら勉強)は家でやってます。ただたまにはこういう違う雰囲気の中でやるのもいいですね。余分なものはまわりに一切ない。その作業をやる以外にすることも特にあるわけじゃなく、かといって会社のような緊張感?もないのでかなりリラックス。結果的にはざっと4-5時間ほどですが、かなり効率良く作業できました。たとえ、それが普段のメインマシンじゃなくて、サブのノートパソコンでの作業であったとしても。

ほんと、たまにはいいですね。こういうの。

畑荒し

畑といってもたいしたこと全然ありません。どこにでもあるような小さなベランダ菜園。数個のプランターにミニトマトやらバジルやら大葉やらの種がばらまかれたのが1月くらい前のことだったでしょうか。毎日丁寧に水をやり、適当にばらまかれたわりには、いくつかの種からは芽も出てきて、それなりに順調に育っていたのです。特にミニトマトとか。

が、今朝、水をやろうと思ってベランダにでてみるとどうでしょう。プランターから緑が消えています。あれ?ミニトマトが育っていたあたりにはぽっかりとしたくぼみが見えます。あれれ・・・えーと、なにがおこったんだろう・・・しばらく呆然と立ち尽くす。猫?いやいやここは5階だし、このあたりじゃあ犬はたくさん見るけれど(そのせいもあってか)猫の姿なんてほとんど見かけない。鳥?鳩とかカラス?あり得ないとはいえない。そこらにたくさんいるし。

どっちにせよ、隣ですくすく育っていた同期の夕顔には目もくれず、ミニトマトとバジルの芽だけがやられたってことは食料目当てなのかなあ・・・あーショック。。。我が家の大事な食料が・・・

指揮者の佐藤功太郎さん死去

えーと。。。ショックでなんといってよいのやら。。。(仕事中に知って、ちょっとうろたえてました)

というのも、9月の巨人の演奏会は佐藤先生が棒を振られる予定だったのです。そして2週間ほど前の6/2にはじめての指揮者練習ということで、佐藤先生が来られて、その棒の元、僕らは練習をしたのでした。確かに、数年前にオペラを振っていただいた時からは想像もできないほどに外見が変わっていましたし、オケの前で挨拶をしている声もほとんど聞こえないほどでした。が、棒をもち指揮台に上がった瞬間に様子は一変し、そこには声を上げてオケを先導する偉大な指揮者の姿があったのです。音楽をやるというその気持ちはここまで人を動かすのか、と。

あの時のものすごい緊張感にあふれた練習(ひょっとしたら最後の指揮台だったのかもしれません)、そして3楽章のベースソロを弾き終わったあとに僕の方を向いてにっこりと微笑んでくれたその笑顔(言葉には出さなかったけれど「そんな感じでいいよ」といってくれたような気がしました)、僕は忘れないと思います。佐藤先生のためにもがんばらなきゃ。

最後になりましたが、ご冥福をお祈りします。

福岡限定?掛け声

ふとしたことから、「ご当地踏み絵」とかいうサイトに行き着きまして、関西歴6年目の自分はどうかなあ、、、と思ってまず大阪をチェック。ふむふむ・・・まあ、そこそこですかね。で、22年住んでいた福岡は、と。さすがにこっちの方が身に染みついている分、わかることが多いなあ、、、???え???こんな記述にふと目が留まる。

体育で「座れ!」「立て!」のあとに「ヤッ!」と掛け声をあげる。

へ?これって、つまり、全国共通じゃないってことよね?じゃーなんて言うんだ?!

あまりに気になったのでお昼ご飯の話題にしてみたところ、関西育ちの人たち曰く「何も言わなかったような・・・」とのこと。(ちなみに相方さんにも聞いてみたけれど、同じ回答でした)

しらんかった〜〜。こんなことにも地方差ってあるのね。

現代作曲家、ジェルジ・リゲティさん死去

あら、そうなの。。。

食わず嫌いは良くないと、いくつかの曲は聴いたことあります。でもやや食あたりだったけれど・・・とはいえ、100台のメトロノームは結構好きでした。そのセンスがね。