大作家

 は、いろいろと大変なんだなあ、とつくづく思ったりすることがある。特に大衆向けの作品を書いていた人は。過去形ですけども、この場合に、僕の頭の中にあるのはもうこの世にはいない二人の人物だから。江戸川乱歩、と、手塚治虫。全く関係ない二人だけども、誰もが名前くらいは聞いたことがある、という点では一致しているかと。(乱歩の方は最近の若い人たちはしらないかもね)
 なんで、いきなりこういう話かっていうと、たいがい、僕らがまず、こういう人たちの作品に接する場合は、非常に有名な名作とされたものであることが多い。というか、それ以外にはないでしょう。なんだけど、ちょっと、好みに合ったりして、深く掘り下げていって、とにかく無名の作品でもいいから、なんでも読んで見ようって思いだすと、これがまた、いろんな作品に出会ってしまう。そう、いわゆる駄作に。
 読み終わったあとの「なんだったんだ?」感はほんとになんともいえない。これがあの大作家の作品か、と。でも、解説なんかを読んで見ると、なんとなしに理解できるような気がしなくもない。つまり、そういう駄作みたいなものはほぼ全てが「書かされた」作品なのだ。有名であるがゆえに、出版社の頼みを断ることも出来ずに、多数の読者のために、十分な準備も出来ないままに、とりあえず書き始めてみる。そういう作品が結構あったりする。当然、そんな感じで書き始めているもんだから、ちぐはぐなストーリー展開は、もうなんともいえない。素人の投稿作品でも、こんなのってないんじゃないの?というものもあったり。
 乱歩の場合なんて、たくさん読んでいると、もう犯人の意外性はちっとも意外じゃなくなってきたりする。トリックもちっとも不思議じゃなくて、「あ、またこの使い回しか・・・」みたいな感じで。
 そうはいうものの、読んでみるまでは、自分にとっての名作かどうかなんてわからないから、やっぱり、無名の作品を読み続けることは終わらないんだろうな。
と、大事なことを忘れていました。15日(日)の「独り言」はお休みです。パソコンの使える環境におりませんので。