独り言

 暑いなあ。28度超とは、なかなか初夏ですね。しかも、蒸暑い・・・日本も南端のほうは梅雨入したっていうし、もうすぐそういう時期に突入ですね。

 昨日はなんだか、オークションの実況っぽい事書いてましたけども、別にそれがメインだったわけじゃなくて、ほんとは、自分が欲しいものを3~4つほどチェックしてたんです。全部昨日の夜に終了したんですが。しかも、1つも落札できなかった・・・予算オーバーぎりぎりだったんですよねえ。やっぱり、あのあたりが人間の心理としては難しいところです。冷静になると、もう一歩高値をつけなくてよかった、という感じになることが多いわけですが。昨日は、ちゃんと電卓片手に計算してましたからね。送料や、振込手数料を考えて、どっちが安くなるかって。

 しかし、あれだけ、チェックしておいて、戦果が1つもないのはちょっと悔しい気分。ま、いいか。なかったものだと思えば、あとは忘却の彼方へ・・・

 あ、それと、一応宣言しておきますが、もう一度ホームページを再構築しようと思います。今度は、全部のファイルをちゃんといじり直そう。やっぱり、自分の手で直接書くのが一番だな、という結論に達したので、テキスト入力で出来る限界に挑戦!とか言ってみたりする。でも、スタイルシートとかちゃんと使いこなしたいですしね。そういうあたりもいろいろ参考にしながら、6月中をめどに頑張っていきます。うっし、がんばるぞ!

ウィルスとチェリ

 最近ウィルス付きのメールがよく届いてますねえ。なんていうか、この頃は、前ほど関心がないんで、どういう種類のやつなのかはよくわかってないんですけども、とりあえず、過去の送受信メールの履歴の相手にメールを送ってるっぽくて、しかも写真フォルダを探してパソコン内の写真を勝手に送ってくれているようですね。うんお見事なもんだ。っていうか、結構やばいぞこれ。まあ、送ってきた相手に心当りはないし、ついてた写真は多分、オークション用に撮った写真みたいですね。ま、どうでもいいし、すぐに捨てちゃったけど。みなさん気を付けましょうね。プライベートな写真でも流れてしまったら、大変だ。

 さてさて、オークションをみてると、ほんとにこれぞオークション!っていう品物出てくることあるんですよね。ちなみに、僕の場合はチェリビダッケのCDなんですけども、海賊盤だからというか、なんというか、、、えっと、ショスタコの5番です。「革命」ってやつですね。はっきりいって、僕もオークションを見ていて、今までにみたのは今回を含めて2回目です。で、気になるお値段のほうはといいますと、開始価格が1000円なのに、終了1時間前の時点で10500円になっております。うはは。ほんと、これぞ、珍品!なんですよね。聴いてみたいけど、これじゃ買えない。だいたい、ミュンヘンフィルとか、シュツットガルトとかの正規盤でも出ているようなオケじゃなくて、トリノ放送響とかの比較的若い時(1955年だと思う)の録音なのに、この値段がつくのが、またすごいんですよね。(ちなみに、手元の資料によると、チェリの「革命」の録音は、このトリノのと、あとミュンヘンフィル(こっちは1986年)の2種類あるそうで、ミュンヘンだったらいったいいくらになるんだろう・・・)
 ちなみに、チェリの録音で、高値がつくのがもう一つあるんです。ドヴォ9,つまり「新世界より」。これは映像とかはでてることもあるんですけどね、CDになると、やっぱり1枚で5~6000円の値で落札されているようです。この間CD屋さんでCD-R盤を見たので、今後は多分あまり高値がつかないかもねえ。

 出品した人はびっくりしているかもしれない。思わぬお宝なんでね。あ、結局10500円で落札だったみたいです。

バリアフリー

 コントラバスをキャリーに載せて運ぶ時、いつも思うのは、バリアフリーって、単に自治体や建物の責任者が通路の構造を考えたり(段差を無くすとかスロープをつけるとか)すればいいとか、そういうことだけじゃないんだな、ってことですね。
 いや、要するに、歩道をコントラバス牽いて歩くわけですけども、これが通れないところって、絶対車椅子は通れませんよね。まあ、これは、京都にコントラバスを持ってきた時も、さまざまな駅で同じことを感じたのは、そうなんですが、(乗降客はたくさんいるのに、エレベーターがないとか、そればかりじゃなく、エスカレーターすらない駅もたくさんあったし)今回のはそういうんじゃなくて、いってしまえば、単なる路駐です。
 だいたい、そもそも駐車禁止の標識立ってるんですけどね。まあ、多分、そのあたりにすんでいる人の関係者なんでしょうけども、で、しかも一応丁寧に歩道に乗上げてくれているもんだから、車道側からすれば、確かに邪魔にはなってない。でも、僕は通れないです、はい。この場合、というか僕の場合は、もちろん、キャリーごと持上げて車道側に下りたりとか、ちょっと斜めを向かして通り抜けたりとか、そういうことをして障害を回避できるんですが、車椅子とか、あるいは、手押車を押す老人の方とかだったら、かなりの困難が予想されるんですよねえ。
 だいたい、車道に下りるのもそれなりに、というか結構危険だし。絶対、車側からは、「危ないやつだな」って思われてるに違いない。でも、仕方ないんですよね。歩道が通行不可能なんだし・・・だいたい、京都の道路はたいがいどこでも狭すぎです。仕方ないけど。
 と、こういうふうに書いていると、まあ僕が自己中心的で我侭なやつだとか、そういうふうに思われたりするのかもしれないですけども、その辺はとりあえずおいといても、自分も障害物を作る可能性のあるものとしては、こういうことに気を付けないといけないなあ、とそう思う今日この頃でした。とりあえず、車はないけど自転車はありますからねえ。。。

献血日記

 まず、本題にはいる前に、最近どうもつながりにくくなったような、そんな気がしませんか?いや、僕のせいじゃないはずなんですけどね。3日ほど前にコードを抜いてしまって以来は、サーバ自体にはなんの問題もないようなんですが、どうやら、itok.jpというアドレスと、実際のIPの変換がうまくいったり、いかなかったりしているようで、なんだかよくわかりません。でも、もしつながらない場合は、http://itok.hn.org/というのでいけば、間違いなくつながります。これでつながらない場合は、サーバが落ちていると思ってもらっていいでしょうね。というわけで、なにやらご迷惑をおかけしてすいませんです。

 で、前置長すぎだけども、今日も献血ルームにいってきました。朝比奈さんの演奏を見るために、と思っていたんだけども、特にビデオを選ぶ間もなく、「テレビでもいいですか?ビデオでもいいですけど・・・」見たいな感じだったので、まあたまにはのんびりテレビでも、と思って、そのまま見てました。
 でも、あれですね。バラエティーは困りますね。ヘッドフォンをつけているので、当然音が聞こえているのは自分だけ。まあ、画面を見ているのも自分だけなんですが、そういう中で、画面上で面白いことがあった時って、どういう反応したらいいんでしょう?まあ、なにしろ、一応、看護婦さんやら献血に来ている他の人やらいるので、笑う訳にもいかないのは当然だけども、でも顔に出るんですよねえ・・・そして、ニタニタするのってなんだか変だから、(だって、まわりの人とは、音も映像も共有してないわけだし)それを我慢したりするわけですが、それがまた微妙に変な顔になってるんだろうな、とか、そういうことを考えると、もうどうしてよいやら・・・
 だいたい、腕には針が刺さったままの状態だし、身動きとれないのに、思わず咳込みそうになって、苦しかったり。そんな感じで、まあなんともいえない時間を過ごしてしまいました。やっぱり、静かにクラシックの映像でも見ているのが一番気が楽で良いですね。というのが結論でした。

銀河鉄道の夜

 のDVDを見てました。(劇場版、アニメですね)なかなかDVDででないなあ、と思っていたら、いつの間にかでてたみたいで、実家にあったので借りてきました。
 このアニメ、多分、僕くらいの世代の人なら見たことがあるだろうと思いますし、そういう意味では、この「銀河鉄道の夜」のイメージはこれに影響を受けていることと思います。そう、登場人物が猫なんですが。ジョバンニもカムパネルラも猫です。
 で、このアニメ、僕がここでも何度か紹介してましたますむらひろしさんによるものなんです。というか、宮沢賢治の童話をいくつも漫画にされているんですが、たいがい登場人物は猫になってまして、それで、映画化になる時もそのままだった、というわけですね。原作宮沢賢治、原案ますむらひろし、ということです。しかも、よく見てみると、音楽は細野晴臣さんだったようで、昔は全然知らなかったけど、確かに今聴いてみるとそういう感じでてますね。

 さてさて、僕がこの「銀河鉄道の夜」を語る時に避けては通れないことがあります。それがいわゆるところの初期型の原稿、ブルカニロ博士編ともいうことがありますが、なんです。まあ、今現在よく知られている最終的な形になるまで、何度か書直しをしているみたいで、ずいぶんと様子が違うところがあります。なんといっても、カムパネルラが死なないくらいですから。こちらは、ブルカニロ博士の実験で博士がジョバンニに機械を使って自分の考えを伝える、というそういう話になっているんですが、まあ、そのあたりはどうでもよくて、この初期型にしかあらわれてこない重要な人物がいるんですよ。(もちろん博士以外で)
 詳しくは、直に読んでいただくといいと思いますが(今日追加したリンク先から比較しながら読めます)、カムパネルラがジョバンニの前から姿を消したあとに、突然あらわれたその人物の台詞としてこういうのがあるんです。「みんなめいめい自分の神様が本当の神様だと言うだろう。けれどもお互いに他の神様を信ずる人のしたことでも涙がこぼれるだろう。それからぼくたちの心がいいとか悪いとか議論するだろう。そして勝負がつかないだろう。けれどももしおまえが本当に勉強して実験でちゃんと本当の考えとうその考えを分けてしまえば、その実験の方法さえ決まれば、もう信仰も科学と同じようになる」
 この最後の「信仰と科学は同じようになる」というのに僕は非常に心を打たれたのを今でもおぼえてます。というか、この台詞自体、今でもたまに頭に浮かんでくるんですよね。それくらいインパクトのあるものでした。僕の中では、この部分がかなり重要なメッセージなような気がして、なぜこの部分を削除してしまったんだろう?と思わずにはいられません。で、皆さんにも普段知っているこの物語とは、違った見方が出来るんじゃなかろうか、というわけで、紹介してみました。
 これに関しては、今日追加した「森羅情報サービス」というサイトで、原稿の変遷をたどりながら全文を読めますので、ぜひ一度見てみてくださいな。

コーヒーカップ

 以前、というかつい1週間ほど前のことですけども、コーヒーの楽しみに方について書いてたと思いますが、その中で、「陶器とかのコーヒーカップが欲しい」という風なことを書いてたわけですが、なんとまあ、ちょうどいい具合に、実家でいただいてきました。感謝感謝です!>父上母上
 で、上野焼といいます。「あがのやき」と読みます。それほどメジャーではありませんが、福岡の筑豊地方の焼物ですね。http://www.seafolk.ne.jp/chikuho/agano/こんな感じで。先日の4月末の連休に陶器市に行って買ってきたとかで、なんとまあ、タイミングのいいことでしょう。ほんと、感謝感謝です!
 で、早速それでコーヒーを入れてます。コーヒーカップなんて、使ってなんぼのもんですから。あ、カップに限らないですが。食器は飾っても意味ないですよ。今まで、ソーサーのほうに気を使ったことはなかったんですが、というか使ったことなかったんですが、せっかくなので、いつもちゃんとセットで使わせていただいてます。うむうむ。いい感じ。
 もちろん、ですが、たとえば金粉入りの日本酒といえど金粉なしのものとなんら味に変わりがないように、カップが違うからといって、それほど味に変化があるわけがありません。(それほど、というのは、やっぱり、保温性とかの違いは出てくると考えられますから)ま、気分ですね。気分。気分は非常によいです。それで十分。というか、この場合はそれがすべてです。

 うんうん、しかし、なんでモノがあふれそうになっている食器棚には、京都に来た時から、カップとソーサーが3セットも入ってるんですかね。使ったことないのもあるぞ・・・これで、4セット目になってますが・・・(コーヒー用2セット、紅茶用2セットかな?多分)なんで、こんなに持ってきたんだったっけ?ま、いいけども。

独り言

 またやってしまいました。うちの部屋って、畳の上にそのまま電話のコードが通っていまして、部屋の両端を結んでおります。片方が電話機で、もう片方がパソコンなんですが。で、そのちょうど間に、コード延長のために、一ヶ所モジュラーコードをつないでいる結合部分があるんですが、これがまたくせ者で。ついうっかりその部分を踏もうものなら、、、あら、いつの間にか線が外れてる、なんて事もよくある話。そんなわけで、21時頃だったか、つながらなくなったのは、僕がその部分を踏んでしまったせいです。強制的に切断してしまってるから、ちょっと復旧に時間がかかったりするんですよね。ああ、、、もう、気を付けてはいるんですが、部屋にものが多くなると、こういう事態が起こります。ちょうど、実家から送った荷物が届いた時だったんでねえ、、、と言い訳でした。

 今日は変な天気でした。曇空になると空気も冷たくて、ちょっと肌寒い感じだったのに、太陽出てきたら、一変して蒸暑くなってしまいます。その上、雨もちらほら降ったり・・・ああ!!!もういらいらする!とか。まあ、ほとんど研究室の中にいたから、関係なかったですけども。

 あ、なんだか、最近「暇そうですね」という話をよく聞くが、そんなことはありません。というか、暇か、そうでないか、っていうのは、相対的な問題だしね。日課的になってしまえば、それは暇のあるなしに関係なく毎日やるわけだし、そういう意味では、僕的には「メールを読む暇も無い」という方がよっぽど不思議。そんなの朝起きて、顔を洗う程度のもんですから、僕にとっては。というわけで、あくまでも相対的なお話でした。

帰京

 しました。この「帰京」って、多分今なら、「東京」のことなんだろうな、とかいうのは、まあどうでもいいことなんですが、しかしながら、博多駅で新幹線を待っている時に、自分が乗ろうと思っていたひかりの前に、新大阪行レールスターなんてものがあったりして、ちょっと悔しい思いをしたりもしたわけで、やっぱり、京都っていうのは微妙な位置なんだなあ、というのはさておいて、短期間でも留守にすると、いろいろたまってますね。
 なまじっか、帰省中でもメールが読めたりするのがいけないのだろうか。メールでの用件をこなすためには、京都に戻ってからじゃないと駄目なことが多くて、じゃあ、あとで戻ってからやろう、とか思っていると、案の定忘れかけていることも多く、そういったことが何件か重なると、なんだか、勢いでやってしまわなければいけないような事態になってしまうわけです。ま、どっちにしても、結構大ざっぱになってるかも。
 なんか、異様に、文が意味なく長くなっているような気がするわけですが、そのあたりも、まだ帰省中に遊び回った疲れが取れてない、ということらしいので、許してやってください。書くこともろくに思いつかなかったり・・・

 しかし、ずっと雨続きというのは、やはり気がめいりますねえ。すかっとして欲しいものです。五月だというのに・・・五月晴とかないなあ。。。明日もきっとこんな天気なのでしょう。残念。

立夏

 らしいですね。今日はずいぶんと涼しかったけれども。

 連休最後の日だったわけですが、まあ、今日も中学水泳部時代の数名とあってました。相変わらず、帰省するたびに、こういった予定がひしめき合って、ばたばたと出かける日々が続きますね。楽しいからよいですけども。
 今後はなかなか福岡に戻ってくる機会もなくなって、こういう機会も減ってくるのかなあ、と思うとちょっと感慨深いものがあったりするわけでもありますが、とはいえ、まだまだ学生生活もあと1年弱あるわけだし、これをしっかりと満喫しておかないといけないですね。新しい生活といってもまだまだ先の話ですから。
 明日の朝京都に向けて発ちます。ざっと昼前に家に戻って、午後から研究室に復帰する予定。レポートやら、セミナーの準備やら、論文やら、そういったものがたくさん山積みなんで。

 そういえば、今日は、昼前に、アインと川辺に遊びに行ってました。雨が降っていないわずかな合間をぬって。この連休はかなりアインの写真を撮りまくったような気がするんで、また明日にでもまとめてアップします。ほんと、完全に親バカみたいな感じですが・・・

新歓合宿

 今現在、5月6日の朝9時半です。さてさて、九大フィルの新歓合宿におじゃましてきまして、今、現役より一足早く下山してきました。そういうわけで、こんな時間になってしまったのですが、一応更新しておきます。
 もう丸1年、行ってなかったので(というか、帰省している時は、盆か正月だったために、練習場自体があいてなくて行けなかった)知らない人が半数を超えてました。まあいいけど。知ってる、なつかしい面子に会えただけでもよしとしましょう。で、久しぶりに演奏聴いたし。(とはいえ、指揮者の先生来られての練習を聴いたのは1年の時以来だったので、ずいぶんと新鮮でした)

 で、今日がGW最終日ですが、京都への帰還は明日って事で、今日一日最後の休日をのんびりと過ごします。